雪山の寒苦鳥と私 [雑記]
【雪山の寒苦鳥】
昔子供のころ「雪山の寒苦鳥」という本を読んだ。
寒い冬山の夜、寒さに震えながらこう考えます。
「暖かくなったら巣を作ろう!」
しかし日が差して暖かくなると、巣を作るという決意はどこかへいってしまい、 陽気に浮かれて遊んでしまうのです。
そして、また寒い夜が来ると・・・
「明日こそ巣を作ろう!」
そう決めるのですが、また陽が差して暖かくなると遊んでしまう。
そうして最後には死んでいってしまう(TT)
というような内容だったと記憶しています。
よく私はこの雪山の寒苦鳥と自分を重ねます。
「明日の100より今日の50」と常に考えてはいるのですが、ついつい横道にそれ遊んでしまいます。
結果、予定していたことは先延ばしとなり、後悔ばかりが残るのです。
もうひとつ、ロシアの作家ツルゲーネフの著作に「ルージン」がありますが、この作品のルージンもまた私が自身と重ねる対称です。
ルージンは人より優れた能力を持ち、周囲に羨ましがられながらも、実は生涯何も成さずに寂しく死んでいってしまうのです。
私はこの作品を読んだとき、確か19歳でした。
そのときは施設にいて、自分の有り様を考え反省したり悲しみに沈んだりしていました。
そしてたまたま目にした「ルージン」を読んで、そのはかない人生に胸を打たれながら、同時に自身の将来を何となく予感したのです。
実は子供のころは何故か勉強は得意でした。
運動も大好きで、季節がら重なってしまう以外の部活動には全部入りました。
走るのが速かったせいもあって、運動会では毎年リレーの代表選手になり、子供心にそれはとてもうれしく誇らしいことでした。
勉強も運動もそこそこにできたので、天狗になっていたと思います。
何でも人より出来ると自分で思っていました。
ところが19歳でルージンを読んだころ・・・
施設で過ごす自分がいました。
社会からはみ出し、何も成せない自分がいました。
そしてそれは現在まで続いています。
自分の能力を過信し、努力することを忘れ、そして雪山の寒苦鳥のように、すべきことを先延ばしにする。
その繰り返しで現在までずっとただ生きてきました。
途中何度も反省し「これじゃあいけない!」そう自分を叱咤するものの、翌朝にはすっかり忘れ、また同じ日々を過ごす・・・
今思えば人生の貴重な時間を随分と無駄にしてきたと思います。
時間を遡ること、昔に戻ることは出来ません。
残す寿命がどれほどあるのかもわかりません。
ここに至って初めて気付いたのです。
時間は戻せないけど、もう一度挑戦することはできる!
七転び八起きだ!
最後に勝てば勝者だ!
そう強く心に刻み今は生きています。
今のままの自分で、昔に若いころに戻れたら・・・
よくそんなことを考えます。
時間は永遠だと思っていた青春時代。
残りは少なそうだなって思う現在。
同じ自分なのにずいぶんと変わりました。
若いころは「あ~あ暇だな~」それが口癖でした。
すべきことが見つからなかったんです。
逆にすべきことをある程度わかった今、今度は絶対的に自由に使える時間が少なくなりました。
もったいない生き方をしてきました。
人生は有限でそして与えられる時間の保証はまったくありません。
今生きている!
これだけが事実で明日は誰にもわかりません。
1年後に今と同じ後悔をしない生き方を
紙に書いて壁に貼ってあります。
同じ後悔をこれ以上重ねないためにです。
先行く中年ダメオヤジから若者へ
どうか限りある人生を無駄に、惰性で生きないで欲しいです。
日々目標を立て、それに迷わず邁進して欲しいです。
決めたことは必ずやり遂げる、強い意志を持って生きて欲しいです。
限りある人生を、どうか大事にどうか全力で生きてください。
自身の存在理由、存在価値をどうか見つけ出してください。
私も残る人生、悔いなく同じ過ちを犯さず、全力で生きてゆきます。
なんだか説教じみました。
お気に触ったらどうかお許しください。
ただ私は毎日こんなことを考えて、まだ諦めてなくって、まだまだ夢を追い続けているんだよってことを書きたくって。
ただ無性に書きたくなって。
ホントごめんなさいm(_ _)m
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