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貯えをする重要性に今更気付く 愚かな・・・ [雑記]

この一週間、早朝から夜は20時くらいまで、仕事で出ていたため、帰宅してしばらくは動けない(TT)

とにかく風呂に入って、一日の汗と汚れを落とし、着替えて手を合わせ経を唱える。

ここまでが日課である。

そうして、少しリラックスした気分でPCに向かうものの、そのまま寝落ち。

少しして目が覚めて・・・

明日も早いので、寝ないとまずいと仕方なく就寝準備。

「明日こそは・・・」正に寒苦鳥である(TT)

仕事からの帰り道も同じことを考えながら戻ってくる。

 

仕事だけをやっていたら、死ぬまでこのままだ

仕事の他にもうひとつを作れば、それだけ楽になる。

それがわかっているから、どうしても諦めたくないのである。

 
休職期間中に考えたことがある。

 

なぜ一生懸命働いてきたにもかかわらず、今こうして生きるだけでいっぱいいっぱいなのかと?
なぜ俺はいつも金が無くて思い悩んでいるんだろうと?

少しビジネスでうまくいって、いくばくかの金を手にしたと思ったら、決まって何かで出費が必要になる。

また金が無くなる。

その繰り返しで今まで来た。

貧乏のスパイラルから抜けられないのである(TT)

なのでいろいろと勉強をして、リサーチをして、いくつかの収入の柱を持ちたいと足掻いてきた。





「金持ち父さん、貧乏父さん」
にもあるとおり、金を働かせるか、人を働かせるか、いずれかのレバレッジを持たないと、このスパイラルからの脱出(ラットレースからの脱出)は出来ないことはわかっている。

金を働かせようにも、金が無いのだからどうすることも出来ない現状は・・・

また人を雇おうにも、それに見合った量の仕事の確保が出来ない。

なのでひとりでコツコツやって行くしかない。

少し前に与沢翼氏が提唱していた、フリーエージェントだ。

 

昔から私は、例えば銀行とかに預けた場合の利子より、物価の上昇の方が早いので、貯金をすることは結局資金価値を目減りさせることと信じており、とにかく貯金というものをする習慣が全くない。

そして人間は明日が分からないのに、金を貯めてどうするの?

などとのたまっていた。

 

宵越しの金は持たない!

 

と言えば聞こえば良いが、要は無計画に入った金を遣い果たしてしまうのだから、金が手元に残ることはない。

今になってその愚かな考えを反省しているという情けなさ。

何かしたいときに金が無くて何も出来ない状況を、自ら作り上げてしまったわけだ(TT)

自分が死んだあと、家族がしばらくは困らないように、保険だけはいくつもかけてあるが、家族が生きてくのに必要な金は仕事で稼いで、そしてそれを遣い生きてくのだから、スパイラルからの脱出はやはり困難と思う。

 

独身のうちならば切り詰めて残すこともできよう。
しかし家族が増えればその分出費の機会は増えるのだから、なかなか残すことは難しい。

現在独身の方には、ピンと来ないと思うが、実際に家庭を持つとこのことが実感されると思う。

仕事で稼いだ金は、手の上を通ることもなく、一直線に家計に入り、そこから僅かな金をもらって生活するしかないのだから・・・

 

家計全体で言っても、遣う金以上に稼げば、何も問題はないのだが、もしくは稼ぐ金よりも少なく遣えば・・・
ところがちょうど無くなるのである^^うまいぐあいに。

 

税金は上がる一方であり、何かアクションを起こせば確実に徴収される。
見えない金が大きいのである。

そして気がつくと「どこでこんなに遣ったのかな?」となる^^

 

だからもしも縁あって、ここへ来て下さった若い独身の方に、貯金はしとくべきですよと伝えたいのである。

目減りしても良いじゃないか、先行って手元に金がないのは様々な弊害を生む。
心も荒み、本来幸せであるはずが、そうじゃあ無くなる。

幸せを幸せと感じられない心になるからだ・・・

不思議なもので、人間金に少しでもゆとりがあると、なぜか心も穏やかになる。
金持ち喧嘩せずの心境である。

 

何につけても生きていく上で、金という存在は必要不可欠である。

金がすべてとは決して思わないが、それでも金は必要である。

 

私は家計から金をもらう習慣がもうここ数年無いので、やはり自分個人のビジネスと仕事を両立させて、何とか自己資金を蓄えて行かなくてはならない。

疲れて寝てしまっている場合ではないのである。

 

正直慣れない仕事&現場での力仕事で、体は全身痛みに覆われている。
痛みのためゆっくりしか動けないので、自分で自分がイライラする。

まあこれも慣れるまでの辛抱と、心だけは逃げ腰にならないように、自身を鼓舞して頑張ってはいる。

 

苦しいがそれも生きている証拠!

 

十二年前に、寝たきりか、肩から下が麻痺する可能性のある事故に遭いながら、それでもこうして生かされ、動けるのだからこんな痛みや苦しみに負けてはいけないのである。

 

末期癌の友人はよくこう言う

 

「どこかに俺の働き口ないかな?死ぬ気で働くんだけど・・・」と

 

でも悲しいかな、それは体力の面で絶対に無理だと思う。
根治の可能性を追いながらであれば、治療を続けながら死ぬ気で当たれば何とかなるのかもしれない。

気力が切れないから・・・

でも根治は無理と宣告され、そしてあとどれだけ生きられるかと言われている彼には、仕事をするなどとてもではない。

それでも働きたいと彼は言う。

俺はまだ動ける、とりあえず使ってくれる会社もある。

ならば彼の分まで頑張らなくてはと思うのである。

 

漢ならば引いてはいけない場面がある。
決して負けてはいけない時がある。

 

あれこれ考えず、とにかく今目の前にあることから逃げ出さず、勝利していくことが、将来に向けた一番の一手だと思う。

 

逃げた先には、確実にそれ以上の困難が待つような気がしてならない。

 

死ぬまで漢でありたいなあ。



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