" />
SSブログ
生老病死の苦しみ ブログトップ

大切な人を失った [生老病死の苦しみ]

年明け早々大切な仲間を失った。

同じ職場の先輩だ。

いつもにこやかでちょっと遠慮がちだけど、とっても芯の強い器の大きな人だった・・・

今の職場で縁あって、一緒に苦労してきた先輩だ。

昨年暮れにどうも手が痺れると言っていた。
整形で首のヘルニアと診断されたと聞いていた。

ただどうも今思えばおかしいのが、左側の神経が圧迫されているとのことなのに、左手が痺れていると聞いたことだ。

私も左側の頚椎を亀裂骨折し、今でも右手は痺れっぱなしである。

どうやら人間の神経は交差してるらしく、左側を傷めると右側に症状が出て、右側を傷めると左側に症状が出ると医者から聞かされていた。

違和感はあった・・・

そしてXデー

朝事務所で会った際、普段饒舌な人なのに何故か一言も発しなかった。
顔は上気した感じだった。

心配だったが職場に向かう時間になったので、「大丈夫?」と一声かけて職場に向かった。

その晩脳出血で倒れてしまい、家族は気付かず、翌朝救急車で運ばれたが、半身不随と言語障害が残った。

それから一週間・・・

血栓が心臓に飛び、心筋梗塞から命を失ってしまった。

訃報を聞いた時信じられなかった・・・

えっ?

そんな感じだった。

実感は湧かず、それでも葬儀に参列しマジで泣いた。
本当に悲しかった・・・

あんな人はいない。
おおらかで優しくて、勤勉で、茶目っけもあって・・・

どれだけ助けられただろう
どれだけ勇気をもらっただろう

でももういない・・・

 失って初めて自分がどれだけ先輩のことを頼りにし、好きだったか思い知った。

人間は生きていれば必ず身近な人との別れに遭遇する。

そのたびに耐えられないほどの悲しみを味わう。

あと何度こんな悲しみに耐えなくてはいけないのか?

・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・

それでも生きていかなければならない。
嗚呼!無情である。

いつかは自分も消滅する。
その時にいったいどれほどの人が泣いてくれるだろうか?

ますます縁あった方々との良い関わり方をと思う出来事だった。


最後まで企業戦士として戦いぬいた先輩のご冥福をお祈りします。


それでも私は生かされている。

今日の命に感謝(拝)


タグ:決別

老いることは悲しい? [生老病死の苦しみ]

間もなく49歳になろうとしている。

思えばよくぞここまで生き永らえて来たものだ。

ずいぶん体に悪いことをしてきたと思うし、無鉄砲故なんども大きな事故に遭った。

生死の狭間でフラフラ・・・
しかし何でかいつもぎりぎりのところで、生きる側に倒れる。
「う~ん、やっぱなかなか俺は死なないなぁ」
まだやるべきことが残っているんだな・・・きっと

そんなこんなで早50年近く経った。

若いつもりがいつの間にか押しも押されぬくたびれた中年になり下がった。
心はまだ若い方だと思う。

でも・・・

体は完全に中年オヤジのそれである(TT)

顔の皺は際限なく増え続け、頬の肉はたるんで更に皺の深さを際立たせる。

腹は醜く脹らみ、すでに弱った腹筋では支えようも無い。
俗に言う地獄にいる餓鬼の姿に似ている。

体力は年々衰え、覇気はどんどん無くなってくる。

全くマイナス要因ばかりである。

しかし老いること(年を取ること)は悪いことばかりではない。

経験を積むことによって、様々な場面で的確な判断、結論を出すことができるようになった。
たくさんの選択肢の中で、どれが今一番必要で正しいのかを瞬時に導き出す能力が備わった。

反射神経と身体能力とかは衰えたが、代わりに危険察知能力と判断力が強化された。

物事を広く離れたところから見ることが出来るようになり、狭い世界の思い込みによる失敗は減少した。

目の前の僅かな情報だけで判断していたのが、それに経験をプラスすることで更に選択肢を増やし、結果最善と思われる決定を出せるのだ。

何もこれは実生活の経験だけのことではない。

時間を経過する中、あらゆる書物などから得た情報も蓄積されてくる。
日々新聞から取り入れるニュース然り、本を読むことによる情報然り、また耳から入ってくる言葉など
長く生きていればいるほど、自然とどんどん蓄積され、それは前述の判断を迫られた時の有効な選択肢を増やすことに貢献するのだ。

私は十代の頃施設生活をしたことがある。
日々の生活は判を押したようなものだったが、唯一救われたのが本を読むことは自由だったことだ。

ツルゲーネフの初恋に始まり、阿刀田高のショートショート、五木寛之の青春の門、司馬遼太郎の国盗り物語、隆慶一郎の一夢風流記、実生活のハウツー本、その他ありとあらゆるジャンルの本をとにかく時間のある限り読み漁った。

図書係を拝命していた私は、自由に施設の図書棚に、図書保管庫から好きな本を補充できたのも幸せだった。

1年間の在所期間で、ほぼ図書保管庫の本は読んでしまった。

それぞれの本に書かれていたことを、すべて思い出せるかというとそんなわけはないが、数十年経った今でも、こうして文章を書くときには、それらの本の中の表現法だったり、文章の一説だったりがポッと浮かんでくる。

またそれら本の中の主人公らの考えや、行動は私が実際に経験していないにも関わらず、ひとつの経験値として私の中に蓄積されている。

年を取る=時間をただ過ごす ではないのだ。

年を取る=経験値をどんどん上げる そう考えている。

子どもとお年寄りは国の宝だと私は我子たちに教えている。

子供には無限の可能性があり、お年寄りには膨大な経験値(経験則)がある。

いずれも社会的に見ると小さく弱い存在に見える。
だがこの小さく弱く見える存在が宝なのである。

生き物はだんだんと年を取り衰えていく。
これは自然の摂理で致し方無い。

老いてゆく自分を見るたび悲しくもなる。

しかしただ年を取ることだけはしたくないと思う。
最強のジジイになってやろうと思う。

誰よりも聡明であれ
誰よりも慈悲深くあれ
誰よりも澄んだ心を持て

そしているだけで周りが温かくなる、そう太陽のような存在

そこを目指して一気に走り抜けることができたら、きっと今の老いる悲しみなんて小さな悩みは消滅するんじゃあないか?(消滅じゃなくて痴呆で忘れるてえのがホントだけど^^)

私の書く文章にまとまりは無い。
まとめようとも思ってない。

ただ頭の中身をぶつけるのみ。

そこはいつも書くけどごめんなさい。

最後に・・・

自分より小さな存在を軽視するべからず
あんたたちもそのうち年取って小さくなっちゃうんだよ

よく介護の現場で見た光景・・・

年老いた親たちを下に見た発言。
老いては子に従えの諺通り、それに従う諸先輩方

でもね先輩方の眼は死んではいないし、奥底では笑っていないよ

自分のしたことは自分にかえってくる。
だからみんな優しくしてねm(_ _)m

それは将来の自分のためでもあるんでw

今日も何とか生かされている
感謝(拝)




















生きることの苦しみ2 [生老病死の苦しみ]

日々更新をと意気込んでみたものの、なかなか人間の決意というものは持続しないものである。

少しリアルで忙しかったのもあり、早くも挫折してしまった。

生きる苦しみの中に、人(社会)との関わり方がある。

例えば・・・

今日も相変わらず情報収集と、ブログ&サイトの更新をしていたが、ちょうど煙草を買いに行って戻ってきたら郵便の配達員さんの姿が見えた。

隣の家に郵便を届けて、そのあと我家にも何か来てるんじゃなかろうか?
と気にして見ていたら、私宛ての荷物が届いた。

これは私が数年前からやっている、個人輸入代行の発注したアイテムだった。

早速受取り、梱包&発送準備をと思って作業を始めた矢先

お母さんから「明日ゴミの日だから枯れた木の枝を切って頂戴!」
と依頼された。

私は「少し仕事ができたんで、そのあとでもいいですか?」と言い後にしてもらった。

梱包作業を再開すると、今度はLINEで友人から連絡が来た。

「仕事で近くに行くんで来る?」
というものだった。

友人にもなかなか会えないので、せっかくのお誘いなんで行くと返事をした。

再度梱包作業に戻ると・・・

今度は別の友人から「バリカンを貸して欲しいんだけど・・・」
という連絡がやはりLINEで来た。

余談だが
このLINEというコミュニケーションツール、便利が故にネックもある。
届いたメッセージを見ると「既読」となり、それは相手にも伝わってしまう。

結果「既読(読んだ)にも拘らず返事がないのはなんで!」となる。

なので見てしまったら返事をしないとマズイ(TT)
既読にしない方法もあるにはあるらしいが、面倒でやっている暇も無いし、妙な駆け引きは私のポリシーに反するのでやらない。

今日は特に予定はなかったのだが、こんな感じで一気に予定が埋まってしまった。

最初に梱包完了した荷物をヤマト運輸さんに持ち込んで発送した。

続いて最初の友人の来るといった場所に赴いた。

少し待たされた。

仕事の合間ということで、結局荷物を下ろすのを手伝うはめになった。

それを終わらせて、すぐさま家に帰り、今度はお母さんの指令の「枯れた木を今日中に切って頂戴!」
に取り組んだ。
ずっと頭を上に向けていないといけないんで、かなり首が痛かった><
しかもここまで急な展開だったので、朝から食事を摂っていないことに気付く。

時間はもう18時・・・
腹は減るはだんだん暗くなるはでテンションは上がらず、ただただ我慢我慢の一手だ。

でも何とか任務遂行し、息つく暇もなく今度は最後の友人の依頼に応えるべく、一路車を走らせた。

友人はとっても喜んでくれたので気分は上々

しかし自分のやるべきノルマは一向に進展していない。

さて・・・

ここで考えた

何かを頼まれたら嫌とは言えない自分がいて
頼む人はそんなに気にもせず
自分のことは全然出来ず
時間は平等のはずなのに、なぜか自分の時間ばかり減ってしまった感

頼む人は複数で、それに応えるのは私ひとり
なんだろうか?

同じ限られた時間の中で生きているにしては、なんだか私の時間は人のために費やされることが多いなぁ・・・と

まあ喜んでくれるんでいいんだけど、ちょっとこのまま何でも引き受けていたら、結果自分のすべきことが成せないんじゃないか?っていう不安。

いい人でいるつもりも無いんだが(あまり私は人の評価を期待してない)なんでかいい人だね~ってなってしまう。
感謝はされども自分のメリットはだいたい無い。
いやむしろマイナスのことが多い。

人との関わりはホント難しい。

嫌われてもいいやって思えば、全部断ればいいんだが、なんでか?断れない自分がいる。

やっぱ人に嫌われたくないという意思が働いているのか?

世の中損得ばかりではないと思ってはいるが、今日はなんか人のことで時間をずいぶんと遣った。

そんなこともあって、私は人に頼みごとをしないし、滅多に人を誘わない。
人の時間に割り込む電話もまずかけない。

基本人付き合いは嫌いだ!

でも裏腹に頼まれたら「いいよ~」って返事しちゃう。

こんな馬鹿な人間を天はどう見て評価しているのか?

まだ生かされているということは、良い方向で見られているのかな?

ちょっと器の小さな恥ずかしい話をした。

でもこれが本音なんだよね~

生きるってホント難しい。







生きることの苦しみ [生老病死の苦しみ]

生きていることはそれだけで、何にも増して尊いと書いた。

実際に今そう思っている。

しかし実際は日々とても苦しい。
何が?

生きていることがだ!

50歳を前にして、未だ何も成せていない自分がとても恥ずかしい。

家庭は持てた、子供達もだんだん成長し、上二人は社会人になった。
末の子供も早中学3年生となり、今年は受験生である。

親の手を離れ、それぞれが個々の人格を持ち、社会に学校生活にと毎日頑張っている。

私はただ真面目に働き続けてきた、人生をかけて20年近く続けてきた仕事の現場で事故に遭い、後遺症障害が残った。
それまでどれだけ辛くとも休まず、頑張ってきた仕事ができなくなった。

転職するしかなかった。

転職先でもとにかく誰よりも仕事ができるようにならなきゃって必死に頑張ってきた。

結果会社が引き揚げて下さり主任になった。
部下を十数人持ち、ますます仕事に熱が入った。
まったく違う職種だったが、人間頑張ればなんとかなるなぁ
そう喜んだw

しかしそのころ社会は大不況下に向かう最中。
会社の都合ですべてのラインが県外へ移設されることになった。

私は派遣社員だったので、問答無用で解雇となった。
5年近く頑張ったが、また水の泡となった。

0からの出発3回目である。

しばらく雇用保険をもらいながらいろいろ考えた。
同時に就職活動もした。
年齢が年齢だけに、また特段有効な資格も持っていなかったので、なかなか再就職はできなかった。

いたずらに時間だけが過ぎて行った・・・

いつまでもそうしていることもできないので、とにかく何かやろうと
今度はまたそれまでの人生まったく関わりのなかった介護系の仕事をすることにした。

ここでも少しでも早く仕事を覚えて、そしてはやく役に立てるようになりたい!
そう思って頑張った。

諸先輩方(お年寄り)に対するときには、精一杯の敬意をもって相対した。
心から慈しみの心を持ってお相手をした。
すいぶんと可愛がってもらった。

ああ、こんな俺でも人の役に立てているんかな?
そう思って日々充実感とうれしさでいっぱいになった。

3年と少し続けた。

しかし現実は収入のあまりの少なさに、生活自体が成り立たず、よくよく考えた末退職した。

とても寂しかったが家族の生活を支えることができず、かみさんに苦労ばかりをかけ続けるのも心苦しく。
かといって続けていても報酬アップは望めないし、雇用条件の見直し(パートからの昇格)も年齢的に難しい。

とても残念だったが、体を痛めても少しでも実入りの良い仕事に就く必要があった。

私は仕事と自宅の往復で人生の大部分を費やしてきた。
体調が悪くとも、心が沈んでいようとも、自分の用事があろうとも、滅私して仕事優先でやってきた。

世の中の大多数の人は同じであろう。

勤め人というものはそういうものなのだから・・・

すでに次の仕事のめどはついている。
おそらく実入りはよくなると思う。

しかし本当は迷っている。

また仕事と自宅の往復で残りの人生をすり減らしていくのかと。

本当の俺の人生はこれなのか?

何か他に生き方があるのではないか?

そんな気持ちで今時間の限りネットビジネスなるものに挑戦している。

私は文章を書くことには何ら抵抗が無い。
1000文字程度だったら(出来の良し悪しは別として)特に別途資料がなくとも書くことができる。

コツコツ地味な作業を続けることにも抵抗が無い。
「ずっと書いていなさい」と学校の先生に言われたら、たぶんストップがかかるまでずっと書いていると思う。

余談だが私の子供のころは学校の先生の発言はそういうものだった。
ひとたび命令が下れば、命令変更がない限りずっと続けたものだ。

「右向け~右!」と号令がかかれば、「直れ!」が出るまで右を向いているのだ。

ちょっと懐かしく思い出した。
話が逸れたが・・・

その一点だけを頼りに(文章書き続けられるってことね)まずブログに記事を書き続けている。
それとHTMLサイトもいくつか運営している。

文章は書けば書いただけだんだんうまく書けるようになると信じているので、とにかく数稽古だと日々頑張っている。

その先に何があるのかはまったくわからない。

徒労に終わることもじゅうぶん考えられる。

でも何もしなければ何も変わらない。

今まで何もしてこなかった結果が、今の自分なのは自明の理なので、1年前と同じ後悔をしないために今頑張っている。

1年後の自分から「おまえよくやったな」って褒めてもらえるように・・・

人生は長き坂を重荷を負うて上るが如し

そう生きていることは辛いんだ
でも止まること、荷を下してしまうことは人生を放棄することになる。

辛いことがあって、苦しいことに耐え続けて、その先に一筋の光が見えてくるのだと思っている。
辛いからこそ頑張ったその先には、代え難い喜びがあるのだと思う。

苦労を知らない者には、心からの喜びは味わえない。

心が澄んでいなければ、小さな幸せは見つけられない。

苦労するからこそ自身が磨かれ、心が澄んでくるのだ。

事故で頸椎を骨折され、首から下が麻痺してしまったが、口に筆を咥え絵をかかれたり、本を出版されたりしている方がいる。

その方の言葉を紹介しよう。

私は艱難さえも喜んでいます
それは艱難が忍耐を生み出し
忍耐が練られた品性を生み出し
練られた品性が希望を生み出すからです

私も頸椎を事故で骨折した
幸い亀裂骨折だったので脊髄のダメージは小さく、痺れと痛み、時に手の動きが悪くなることはあるが、日常生活には何ら支障はない。

前述の方は首から下の機能を失った。
でも心はまったく折れていない

私はこの方のことを思うたび、自分が恥ずかしくなる。

小さな障害程度で腐っていてはダメじゃんか
「おい!おまえしっかりせんか!」
そう自分を叱責している。

良いも悪いも自分次第

未来の自分を決めるのは、今の自分の行い

痛みや悲しみ、辛いも苦しいも生きてる証拠

生きていることを有り難く感謝し、前を向いて上を向いて、生きるだけ生きるしかない。
生きたくても生きられなかった人達の分まで・・・

今日の命に感謝(拝)

















生老病死の悩みはみな同様に [生老病死の苦しみ]

人として、いや生物としてこの世に生まれおちた以上、いずれは朽ち果ててそして消えてゆく。

これは敦盛(幸若舞)

の歌詞にもある通り・・・

「一度生を得て滅せぬ者のあるべきか」である

私も早40数年生き永らえてきた。

正に紆余曲折の人生だったと思う。

何度か生死の狭間を経験した。
ひとつ間違えば死をという場面に少なくとも三度や四度は遭遇している。

いやもっとか・・・?

しかし私は今まだ生きている。

なぜか先急いだ友人たちよりも長く生きている。

生かされている幸せを感じると同様に、長く生きてきた分多くの悩みや苦しみに遭遇してきた。

【生きる苦しみ】

現場で大事故に遭い、障害を残し
仕事を失い
食うに困り
周囲のプレッシャーは甚大で・・・
当然経済的な余力は全く無く、ただ生きるために仕事と家との往復
金が無いから、出費のたびに夫婦間はギクシャクし
休みの日でも針の筵
いつか自分の好きな仕事をしたいと願うばかり・・・
 

【老いる苦しみ】

若いつもりでいても、体はやはり老いてくる。
髪には白髪が出始め、髭には更に顕著に現れ
体力は無くなり
そして若いころと比べ、持続力は低下し、覇気は無くなる

躓くことが多くなり、意識していないと物を落とす。

頭の回転は良い方だと自負していたが、今では思考がまとまらずパニックに陥ることが多くなった。
合わせて記憶力の低下は著しい

一番悲しいのは顔中皺だらけになってしまったことだ。
どこからどう見てもくたびれたおっさんになってしまった。

若いころは知らない人に「いい男だな~」って通りすがりに言われたものだが・・・
今ではちょっとすれ違った女性に何気ない視線をやると「何このおっさん!キモイ!」そんな声が聞こえてきそうな視線を返される(TT)

容姿だけで生きてきたつもりはないがこれは痛い!

おっさんというだけで敵視される。

「別にあんたらに興味あって見たわけじゃあないけど」

そう言ってやりたいが、実際スケベな視線になっちゃてるんだろうか?

隠すことも無い
女性が好きか嫌いかと聞かれれば、迷わず好きだと答える!

でもそれは自然なこと・・・
人類繁栄のために備わった自然な感情である。

男が女を好き
女が男を好き

何がいけない?

逆にそう問いたいわいw

異性を見てセクシャルな感情を持つことがそんなにいけないことかい?

だったらあんたらは生れてきてないんだよ・・・

そう言ってやりたい。

あららつい感情が入っちゃった><

老いるということは本当に辛いこと
だから人は昔から不老不死に憧れるんだろうなぁ

アンチエイジングという言葉がある

アンチ=抵抗する(反する)
エイジング=年を取る

である。

年を取らない努力・・・
これは裏を返せば老いる悩みを無くす努力
もしくは老いる悩みに遭遇することを少しでも遅くする努力

といったことだろう。

よくTVで美魔女なる女性が登場する。
彼女たちはこのアンチエイジングに成功していると言えようw

年は誰しも取る
しかし見た目はそれ相応とは限らない
若い人でも老けている人もいれば、年を重ねていてもいつまでも瑞々しい方もいる

これは老いる悩みに負けることなく、日々最大限の努力をしているからに違いない。

老いる苦しみというのは避ける術はない
誰しも同様なのだ・・・

次いで

【病気の苦しみ】

すでに人生の半分以上は生きていると思うが、私はいくつかの病気に関する悩みがある。


【すでに露見している病気の悩み】

* 高血圧症
* 腎機能障害(クレアチニン濾過機能悪化)
* 肝機能障害
* むち打ち症
* 頸椎ヘルニア
* ぎっくり腰の慢性化

【いずれ襲い来るであろう病気の悩み】

* 頸椎ヘルニアの悪化による片麻痺
* 遺伝によるALS発症の心配

これらは避けたくとも避けられない私の病気の悩み

そして最後が・・・

【死の苦しみ】

これは書くまでも無い。
死は恐ろしいもので、それはいつやってくるとも知れない。

明日は生きていられるのかさえ誰もわからない。

私の周囲にも、夜寝床に入って、翌朝なかなか起きてこないんで起こしに行ったら亡くなっていたってケースがある。

朝「行ってきま~す」って元気に出かけたのに、事故に遭って亡くなっちゃった人も実際にいる。

明日はわからないのである


私は日々臨終の覚悟で生きている。

明日はわからないが、でも今は生きている!
これは紛れも無い事実だ

だから今日を大事に、そして感謝して生きている。

明日は訪れないと思えば、自ずと今日が貴重なことに気付く。

生きているのではなく、生かされているのだと感じる。

そう思うことで小さな善意、小さな感動に心から感謝することができ、それは即ち生きているってことはそれだけで幸せなことだと気付くことができる。

人間などどこまで行っても自然のただのパーツに過ぎない。

行き過ぎた考えは捨てて、自然の中で生かされていると気付かなくてはならない。

人間は決して神にはなれない。

人間は所詮人間である。

どれだけ金を持っても、社会で出世しても、いずれこの生老病死の悩みで行き詰るのだよ。

誰もこれを阻止することはできない。

だからこそ日々感謝し、奢ることなく、生かされていると自覚し、他の人の幸せを祈って生きていかなければならないのだ!

もう一度言う!

いずれ誰しも朽ち果てて消えてゆく。
だからこそ人生は尊い。
だからこそ人の幸せを祈っていかなければならない。
それは必ず何かの形となって自分にかえってくる。

弱音を吐くことなく、決して負けることなく、万人に平等に与えられた生老病死の苦しみと闘っていかなければならない!
強く強く生きていかなければならない!

    人を尊重し、思いやり、慈悲の心を持って接することで、あなたの周りは明るくなる。
    結果自分の心も明るくなる。
    そしたら誰も喧嘩や訴訟をする必要が無くなる。
    平和な温かな世界が広がる。

    人は皆幸せになるために生れて来たんだ。
    幸せになる権利が誰にだってあるんだ。
    ただそれに気付くか気付かないか・・・

    人同士争ったり、蹴落としあったり・・・
    なんか意味があるのか?

    幸せは個々の心の持ちようで決まる。
    どうせ何十年の命でしかないんだから、仲良くニコニコやるのが良いんじゃないかい?


    nice!(2)  コメント(0) 
    共通テーマ:日記・雑感
    生老病死の苦しみ ブログトップ

    この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。