振り返ってみれば... [雑記]
大切な先輩を失ってから、何もする気が起きなくなって、一切の活動を停止していた。
生きる糧を得るために仕事はもちろん頑張って来た。
なんと最後の記事を書いてから、はや三年の年月が経っていた。
その間に自身の体と心はかなり疲弊している。
毎朝、どこにも不調がなく始まることはない。
どこかしら痛みや不調がある状態で始まるのだ。
未だに毎日悩みながら、体の不調に苛まれながら生きている。
たまたま今日は休みになったので、本当になんとなくこのブログを開いて、過去の自分の書いた記事を読みなおしてみることにした。
理由は無い。
三年前の自分が書いた記事は、苦しくとも前を向いた内容で書かれていた。
私は今の自分の心がなんか恥ずかしくなった。
毎日悩みと不安だけの生活が、私の心をこんなにも弱らせていたのだと気付く。
これじゃいけない!
もう一度、もう一度頑張ってみよう。
自分の夢に一歩でも近付くように...
そんなふうに考え直した。
体調の不調が心配を呼び。
心配する心が体調の不調を更に呼び起こし。
それでも生きていかなければならないのだから...
どこかで悪循環から抜け出さなければならない。
心が負けては体も弱る。
心が強ければ体もおのずと強くなっていく。
私は負けない!
この先どんなことが起きようとも
どんな苦しみが待っていようとも
生きていることは即ち、まだ何か自分に課せられた使命があるんだと自覚して
最後のそのときまで思いっきり足掻いてみよう。
今日は太陽の下に出てみよう。
車を使わず自分の足で歩いてみよう。
日輪の日差しを体いっぱいに浴びて、心を浄化しよう。
どんな状況にあろうとも、今自分が生きている
このことに感謝しよう。
今日の私が、明日の私に続くのだから
今日を楽しく有意義に生きよう!
今日の命に感謝m(_ _)m
開運の鍵は? [雑記]
自分の生きている意味があると信じたいがために、せめて自分の周りの人の幸せを願い行動する。
今日は週一のトイレ掃除の日だった(^^ゞ
正直あまり気が乗らないのが本音だが、それでも仕事としてやっている以上、そこはポジティブに考えて楽しく掃除をしている。
「人の嫌がることを率先してやる!」
これが開運の鍵と考えて・・・!?
しかしこれは強ち嘘でも無いと思う。
昔、トイレの神様という素晴らしくHITした楽曲があったが、正にトイレは通常鬼門に位置し、ここを清めることは風水学的にも意義があると聞いている。
更に、人の嫌がることをやるわけだし、そもそも神様は綺麗好きとあれば、究極の開運法と私は考えて、楽しくトイレ掃除をするようにしている。
イヤイヤやれば気が沈み、楽しくやれば心が弾む^^
どうせやるなら楽しく行こうぜ!
ってな感じW
綺麗にしたトイレで、一番に用を足すのが秘かな楽しみでもある^^
過去にパワーストーンを買ってみたり、金運アップと言われる、黄色のものを身近に置いてみたり、観音菩薩を黄色の紙に印刷して、財布に入れて持ち歩いてみたり・・・etc
いろんなことをやってみたが、結局身の回りを常に綺麗にしておくことが、やはり一番身近な開運の鍵なんだと、最近思うようになってきた(^^ゞ
まあ、気持ちもいいしw
相変わらず、毎日忙しかったり、未だ解消せぬ悩みも抱えてはいる。
でも・・・
相変わらず日々幸せで、感謝の念は消えることはない。
「人の幸せは、その人の心持ちによる」と言われるが、その通りなんだと最近思う。
気付かないで通り過ぎてしまう幸せに、気付く心でいられたらホント毎日幸せを感じる。
まずは生きていることに感謝だ!
運が悪ければ、バナナの皮や、風呂場の石鹸で滑ったり、台風で飛ばされた瓦や、看板に当たって命を亡くしてしまうことだってある。
それなのに、今生きている(生かされてる)自分は、限りなく幸せなんだと思う。
前にも書いたかもしれないが、人生は一幕の劇で、己の心と行動いかんによっては、何者にでもなれる可能性がある。
更に思考は現実化するということもある。
今生きていることが、即ち最大の幸運と感じたいw
そしてそのことに感謝し、日進月歩で進んで行きたいものだ。
人生の意義や、その目的は誰にも正直わからないんだと思う。
人の一生はそれらを探すことなんだと思う。
私は未だ惑い、それらを見つけられずにいる。
家族も持てた、子供たちも健やかに育ってくれている、毎日幸せだ。
だが・・・
私の出生の本懐はどこにあるのか?
それは未だ模索中というのが正直なところ・・・
この人生いつまで続けさせてもらえるのかわかりはしないが、生かされているうちは少しでも人の笑顔を見られるように、ありがとうの言葉をもらえるように行動することを日々念頭に置いて、生きて行きたいと思っている。
天は必ず見ている!
幕を閉じるその時まで・・・
無反無測王道正直
で生きていくつもりだ!
己の心を騙さない
己を汚さない(ずるい考えを起こさない)
人を傷付けない
人を悲しませない
ただただ正直に、愚鈍で良い、ゆっくりと正しい道を歩んで行くのみである。
今日の清らかな?命に感謝(拝)
命を育む 九条太葱と細葱の種その4 いよいよ収穫w [雑記]
葱の収穫をしたw
と言うのも・・・
スーパーで買ってきた葱の根から伸びた葉が、あまりに伸びてしまったため、そのままにしておいたらきっと葉先から枯れてしまうだろうと思ったからだ(^^ゞ
収穫ついでに、九条太葱と細葱も一緒に収穫することにしたw
太いのがスーパーで買ってきた葱の根から伸びたもので、細い方が九条太葱と細葱MIX
どっちがどっちかもはやわかりません(^^ゞ
もちろんすべての根は残してあって、土と肥料を混ぜて、もう一度間隔をあけて植え直した。
葱は同じ土壌で何回も採れるんかな?
成長具合を見ながら、もしも今回より痩せ細って育ちが悪いようだったら、また考えよう・・・
そんな感じで相変わらず、あまり拘らずやってみることにした。
刻んだ葱はとっても細いので(アサツキよりも更に細い)きっと卵かけご飯にはバッチリ合うだろう・・・^^
休みの朝食が楽しみ楽しみw
土を触っているとなんだか子供の頃に還ったような気がする。
そして心がほっとして落ち着くんで不思議?
老後はのんびり家庭菜園でもやれたら幸せだなぁって思う。
自分が使わなけりゃ無農薬栽培だし^^
手間はかかるけど安心して食べられるんでw
いろんな野菜や果物なんかを少しづつ作って行きたいな。
嗚呼!
今日も充実した、幸せな一日だった。
明日も頑張るさぁ!
幸せな今日の命に感謝(拝)
/Baby-G /BG360-1455 電池交換 [雑記]
確か誕生プレゼントで、その当時流行っていた「G-SHOCK」の小さい版?
「Baby-G」というカシオのデジタル腕時計をかみさんにプレゼントしたw
しか~し!
なぜか数回つけてくれただけで、その後数十年彼女の腕に「Baby-G」が巻かれることはなかった(TT)
この間、掃除をしていたら、引出しの奥底からこの「Baby-G」が出てきた。
もちろん何十年も前のものなので、当然電池は切れて、何も表示されていない。
使ってもいないのに、経年劣化で色はくすんだ黄土色ぽい黄色になっている。
まあ忘れ去った、ピュアな心の記念にということで、永久保管かなぁ・・・
そんな風に思っていたんだが、最近仕事で腕時計をはめた方が良いということになった・・・
機械を起動した時間と、停止した時間を記入する際に、スマホをポケットから出しては時間を見ていたんだが、腕時計をはめればいちいちポケットに手を突っ込んで出す手間が省けるからだ。
スマホ本体の保護と、万が一水に漬けてしまった時の用心で、100均でビニールの袋を被せて持ち歩いている関係で、なかなかいざとなると、ポケットから出てこない><
ここはやっぱ腕時計じゃん^^
ということで、時計屋さんか、カーマに持ち込んで、電池交換をしてもらおうと思ったんだが、よっく見たら裏蓋ネジで止まってるだけだし・・・^^
ネットで調べてみたら、簡単に電池交換できるようだし・・・
100均で「CR1226」買ってきて、難なく交換完了しましたw
初めてバラしてみて気になったのが
この「/Baby-G /BG360-1455」100M防水(10BAR)なんで、裏蓋外すと中にゴムパッキン入ってて、これで水の浸入を防いでいるんだなぁとわかるんだけど、裏蓋取ってビックリ!
細長い円形のゴムパッキン、ちゃんと溝に入っていない状態で締め付けられていたようで、思いっきり外れて平たく潰れていましたとさ・・・
この「Baby-G /BG360-1455」たしかブームのせいもあったと思うけど、一万円近くしたと記憶している。
それなのにメーカーさんの組み立てでこんな状態では、もしかしたら防水効いてないじゃん(TT)
そんな感じ・・・
大手のカシオさんなのに、ちょっと残念だったなぁ・・・
まあ組み立てとかは下請使ってるんだろうし、これも仕方のないことなんかなぁ・・・?
万がね出した身としては、寂しい気持ちは否めないのが正直なとこではある(TT)
まあそんなこんなで「Baby-G /BG360-1455」ちゃんの電池交換は、僅か108円で済みましたw
普通に交換依頼していたら、たぶん1000円近くはかかると思うんで、かなりの経費節約になったw
もちろん現在バリバリ動いている。
補足:裏蓋を外すときに、プロテクターは外さないとだけど、バンドは一方だけ外せばOk!
ネジやパッキンはあった場所と、方向とか覚えておいた方が無難。
明日からすこ~し仕事の効率が上がるかな?
普段はめない腕時計をしたら、なんかちょっといつもと違った気分w
そしてなぜだか有効活用できることが幸せ・・・
人の幸せは、いつだってその人の心による
こんなことでも幸せな気持ちになれる・・・
毎日幸せを数えられる命に感謝(拝)
命を育む 九条太葱と細葱の種その3 なかなかどうして・・・ [雑記]
九条太葱と細葱の種を蒔いてからというもの、かなり時間を経過しているのだが、なかなか育ってくれない。
きっと栽培法も知らずに、まあ土と水と日光、そして肥料をあげておけば育つだろう・・・
という安易な取り組みだからだと思う。
あまりに成長が遅いので、新たに土と肥料を買い込んで、植え直して肥料を変えてみた。
合わせてこの間切る前の細葱が冷蔵庫に入っていたので、根の部分だけ並べて植えてみた。
そしたら・・・
スーパーで買ってきた葱の方が早く育つんで参った(^^ゞ
植えた次の日にはもう葉がわかるくらい伸びてるし。
対する種から育ててる九条太葱と細葱は未だ細くて弱々しい(TT)
手前がスーパーの葱の根から育ったやつ。
手狭に植えてあるんで、少し育ちの良いのを別に植え替えたもの
こちらはすこ~したけが大きくなった^^
だったら最初から買ってきた葱の根っこだけ植えればよかったじゃん。
ってことになるんだが、でもやっぱ種から育てた方が愛着が湧く。
何とかがんばって一人前になるまで育てていきたいと思う。
植物はものを言わないけど、きっと私の言葉は通じているし、私の想いもきっと伝わっているはずw
そんなことを考えていると、なんか食べられなくなっちゃいそうだなぁ^^
いっそ観賞用にしようか?
観葉葱・・・^^
早く寝ることへの抵抗 [雑記]
昨日は諸事情あって、少しばかり睡眠不足だった。
相変わらず日中は暑さ厳しく、家に戻ったころはヘロヘロだった(TT)
しか~し!
身内のPC不調で、直して欲しいと依頼をされていたので、一杯飲みながらPCに向かっていた。
結局寝落ちしてた><
さてここで問題です?
仕事だけの人生は、私は良しとしていませんが・・・
要は仕事だけで1日が終わってしまうことはあまりに寂しいのです。
なので仕事から戻ると必ず何かをします。
だいたいするべきことが蓄積しているので、毎日なんやかんややってます。
でも昨日は早々と寝てしまっていました。
これは前述の私のポリシーに反することなんですが、久々に思いっきり寝ました。
朝起きたら「あ~よく寝た」って感じで、もちろん日中の仕事の際も、活力が漲っていましたw
次の日の仕事のために寝ることは必要ですが、早々と寝ることは体は楽な代わりに、その日を仕事だけで終わることになります。
ジレンマです・・・
早く寝れば次の日が楽、でもそうしたら日々仕事だけになってしまう寂しさ・・・
なんか勿体ない。
そんな風に思うんですね(^^ゞ
少々寝不足でも1日持てば、まあ睡眠時間を削って、自分のことをするんですが、年齢を増すごとに、だんだんと無理がきかなくなってきました(TT)
じゃあ早々と床に入れば、翌日「あ~あ、昨日はなんも出来んかった」となる。
人生は有限で、明日をも知れないのだから、なんか寝てしまうのは勿体ないなんて思うんですね。
でも寝不足を続けて、もしも体を壊してしまったら、結局仕事どころか何も出来ない時間が出来てしまうんで、やはりそこはうまくバランスを取るしかないのかなぁって思う。
しかも寝込んでしまったら、収入すら途切れてしまうんで、優先順位としてはやっぱ休養(睡眠)なのかなぁとも思うし・・・
人間は3時間睡眠を取れば、生命は維持できるそうだが、私は正常な1日を送ろうと思えば、最低でも5~6時間は寝たいところだ。
ナポレオンみたいに、3時間の睡眠で大丈夫だったらいいのになぁってマジで思う。
そしたらいっぱいいろんなこと出来るしw
でも私はAB型で、聞くところによると、睡眠不足に一番弱い血液型らしい><
O型の人は結構睡眠不足でも頑張れるらしい・・・
なんでだかわからないけど、実際うちのかみさんO型だけど、メッチャ短い睡眠時間でも、結構元気に動き回れてるから、あながち嘘でも無いような気がする。
全部一緒に作ってくれたら良かったのに・・・
こんなこと考えてると、時間の配分ってホント難しいって思う。
確実に明日の命があるなら、体を労わりもするけど、明日が来ないなんて結末が待っているなら、今日は寝ないし・・・
「今日が人生最後」
ってなったら、私は家族といたい。
他には何も思いつかない。
だって一番大事なものがそれだから・・・
家族と一緒の時が、一番幸せだから・・・
願わくば最後の時は家族といられたら
家族に看取られて旅立てたら
幸せなんだけどな~
悩める今日の命に感謝(拝)
義務と権利 [雑記]
多くの人が企業に勤め仕事をしていると思う。
私も起業の夢を追い続けてはいても、生活のために勤めている。
仕事を終えてから、自分の目標のために可能な限り(次の日の仕事に差し支えない)キーボードを叩く^^
勤め人をしていれば、詰らない仕事もある。
我慢も結構ある。
これは報酬を貰う限り(時間を切り売りする以上)それに見合った働きをすることは義務である。
責任とも言える。
しかしながら、義務と捉えた仕事は、我慢をしていると思うからか、詰らなく感じることが多い。
でも、これを働ける権利と思えたら、逆に喜びを感じる心が芽生える。
仕事は詰らない、でも我慢して時間までやるしかない・・・
これは一般的に思うことだ。
実際に私もほぼそんな気持ちで我慢してやっている。
ところが、たまに思うのだが・・・
例えば体が弱くて働くことが出来なかったり、重大な疾病のために思うように体が動かなかったり、就職先が見つからず無職を余儀なくされていたり・・・
働きたくとも働けない環境下に置かれた人から見たら、働くことが出来て、報酬を得ることができることは、言うなれば権利の行使なのではないか?
それによって一定の収入が確保されることによって、人としての生活を得られる権利・・・
そう思うと、仕事は決して忍の一字でもなく思える。
「しなければいけない」ではなく、「することができる」
これは自身の心次第なのだが、そういう風に考えていれば、かなり心労は減ることが私自身感じられる。
やらされている仕事ではなく、目的に向かってやっている仕事 なのだ!
今日も台風一過の晴天で(一部曇りもあったが(^^ゞ)
数日振りに汗をかいた。
任された仕事を、自身の責任の上でやらせてもらえる。
そしてそれを無事に完遂することが出来、体は疲れたが心は充実していた。
人生往々にして、こういった心持ちで状況や環境は常に変化をしている。
ポジティブに考える癖をつけることは、愚痴を減らし、明日への活力を保持する大きな力となると日々感じている。
実際にはなかなか苦労多く、ポジティブになんて難しいかもしれない。
でもやっぱり与えられた人生を、詰らないだけのものにはしたくないのだ!
義務では無く権利なんだよ
そう考えたらきっと充実した、穏やかな心になっていくと私は思う。
だって私は毎日幸せ一杯だものw
生きてるだけで丸儲け なんですね~
まだまだ暑さは続きそうです><
日中の日差しはまだまだ力を持っています。
熱中症にはくれぐれもご注意くださいね。
無事にこの夏乗り切って、食欲の秋、読書の秋、そしてハゼ釣りの秋ですな・・・^^
2日前に新調したリールが届きましたw
OGK(大阪漁具) スピニングリール OGK(大阪漁具) トップピットαII 5500
6ベアリンク+1の極めて回りのスムーズなスピニングリールですw
ハンドル部分は画像黒色のプラスチックなんですが、届いたお品はアルミの削り出しVer.でしたw
金メッキが高級感を醸し出していますね。
はやくこれで釣りに行きたいです。
台風の影響で、しばらくは魚も戻りませんが、きっと秋口には大きく成長したハゼがたくさん釣れると今から楽しみですw
我家からは5ヶ所くらいハゼが釣れるポイントが近くに存在します。
海も近いし、海に流れ込む川もあります。
楽しみがあるってだけで明日からも頑張れますw
今日の幸せ一杯な命に感謝(拝)
国内通話定額なのに、何故LINEで・・・? [雑記]
DOCOMOの新料金プラン
国内通話(固定電話&携帯電話)定額プランが提供開始され、早速我家もDOCOMO端末は切り替えた。
子供たちは皆I-PHONEユーザーなので、除外するとして・・・
私と家内、それと仕事の関係で私名義で持ってもらっていた仕事仲間は、すべて新料金プランに切り替えた。
国内通話が定額というのはたいへん助かるw
今までは無料通話の中で(FOMA時代)なるべく収めるようにしていたが、今では何の遠慮なく国内であれば、かけまくれる^^
パケット代も定額で、家族で分け合えるので、何も躊躇することなくネットにも繋げるw
良い時代になったものだ・・・
話は変わって、急遽かみさんからホットラインが入った><
見たらLINEの無料通話・・・
何で?
国内通話定額なんで、普通にDOCOMO回線でかけたらいいのに・・・^^
LINEは秀逸なサービスだが、如何せんたまに音声が乱れることがある。
その点、DOCOMO回線はそれが無く、常にクリアな会話を可能としている。
「DOCOMOの新料金プランにしたんだから、普通にかけてくれた方がいいんだけど・・・」
「定額なんだし、しかも家族間なんで、無料でしょうがね!」
っていうんだけど、なぜかかみさんLINEでかけてくる^^
聞いたら・・・
「だって・・・なんか心配じゃん」だって (^^ゞ
繰り返すが、LINEとDOCOMO回線の通話では、品質は間違いなくDOCOMO回線の方が上だ!
なのにLINEでかけてくるのは、なんか少し損をしている感じがして仕方ない。
実際にはちゃんと用件を聞けてるんで、まあどっちでもいいと言えばいいんだけど・・・
う~んアナログ世代には、なかなかDOCOMOの新料金プランの恩恵は受けられないのかもしれないね~
ゆっくりと「大丈夫だよw ちゃんと定額になってるでしょ!」って明細を見せるしかないのかな?
それにしても、DOCOMOさんも思い切ったサービスを始めてくれて、本当に助かっていますm(_ _)m
話をするための携帯電話なのに、高い通話料を恐れて、満足に話も出来なかった時代を考えたら、これは革新的な試みと言えましょう!
初めてネットの定額制を打ち出した、ソフトバンクの孫社長には及びませんが、それでも見える利益を削り、今後にかける意気込みは評価に値すると思います。
おそらく他社も追従するでしょうが、やはりビジネスの世界では最初に勇気を持って、戦略を持って、行動した者に栄誉は与えられると思います。
長年のDOCOMOユーザーとしては、自身の契約する会社がこうして革新的な一手を打ってくれたことが、たいへんうれしく思うばかりです。
他社の追従であれば、もしかしたら見限っていたかもしれません。
実際にはイオンさんでしたっけ?
定額スマホのサービスに押されての感は否めませんが・・・
まあ欲張らず、目先の利益ばかりを追わず、ユーザー目線で展開して行ってくれたら、きっとDOCOMOはいい!
そうなっていくんじゃないかと・・・
商売の基本は、損して得取れなんで・・・
昨今のDOCOMOさんの動きは評価出来ます。
今までの大名商売に胡坐をかくことなく、努力を開始したことは評価に値しますw
もはや十数年、DOCOMOユーザーの私としては、こうした企業努力には賞賛を覚えます。
頑張ってユーザーのために、努力を重ねていって欲しいものです。
DOCOMOユーザーに関しては(通話)今後LINEの使用頻度は下がるかも?
ですね・・・
だって無料通話のメリットは減少しますんで。
あとはリアルタイムのメッセとスタンプなどが残るのかな?
LINEは秀逸なサービスです。
家のかみさんが、未だにLINE経由で来るのと同じように、しばらくは心配なんで、確実に無料なLINEで・・・
なのかもしれませんが?
掃除をしてもらえるのに、掃除をする・・・ [雑記]
今月は愛車の車検月だ。
何十年とお世話になっている自動車屋さんなので、車検をお願いすると、車内がとっても綺麗になって戻ってくることは周知なのだが・・・
今日車を持ち込もうと、車内の荷物を下ろしている最中、改めて車内を見まわすと、草の切れ端だったり、紙くずだったり、散々な状態なのに気付いた。
もっとも仕事の通勤車なので、余程のことが無い限り社内の清掃などしない><
私にとって車は、足でありステイタスの対象でも無い。
考え方は米国の考え方と同じだ。
機関面は重視するが、内外の綺麗さはあまり重視しない。
要は移動の手段として、私を運んでくれればよいということだ。
しかしながら、改めて見た車内は、そのまま車屋さんに見せるのは気が引けて、小さな車内用の箒と塵取でせめてもの掃除をした(^^ゞ
鉄の心臓を持っていたら、たぶんそのまま渡すんだけど、昭和育ちの私には、なかなか図太くなれない気持ちがある。
だらしないと思われたくないのもあるんだけど・・・
変わって・・・
午後からハゼ釣りに出かけた。
友人と二人で、今日初めてチャレンジする釣り場で、最初はなかなかアタリが無くて、ちょっと凹み気味だったけど、1時間経ったあたりから、ぼちぼち食い始め、その後は断続的に釣れ始め、結局ハゼが5匹、キスが20匹ちょい、小さなセイゴが3匹、ゼンメが3匹で、今年は幸先の良い釣り始め(この釣り場で)となったw
本日小潮の下げの時間帯のチャレンジ。
満潮は12:00頃・・・
19:00チョイ前まで。
戻って速効捌いて、揚げてもらったんで、釣果の写真を撮影するのを忘れたが、それは次回には忘れず撮っておこうと思う。
すべて天ぷらにしてしてもらったが、美味いこと美味いこと^^
実は昨日下見に行ってて(^^ゞ
昨日の釣り場はハゼメインで・・・
だいたい30ちょいかな?これ上段^^
これが下段^^
ハゼがほとんどで、小さなセイゴが数匹・・・
これは昨日別の釣り場で釣ったものです。
今回の餌はゴカイ(ザー)300円ナリ。
ロッドは最近頂いたバス竿&手持ちの安物スピニングリールナリ。
仕掛けは中通しおもり(3号)の先にサルカン(より戻し)それに針を1本付けただけのもの^^
まだ小物がほとんどなので、8号の赤ハゼ流線形。
前は天秤を使っていたんだけど、根掛かりで結構取られるんで、この方式にしたw
おかげで根掛かりも減って、天秤代もいらなくなって、正にエコ釣りw
これで前述の釣果なんで、上出来と言えようw
夏場の釣りはちょっとばかし疲れる。
なので明日はお休みにしようかと思ってるけど、明後日あたりまた行けたら行こうと思っている^^
釣りはホント面白い!
そうそう目の前に鵜が来て餌を捕っていたので、珍しく写真に収めておいた。
サヨリを飲み込むのに結構苦労していて、その姿が愛らしく妙に癒された。
あと・・・
テトラポットに打ち寄せる波音も癒しをくれた。
あ~海っていいなぁ~
充実した良い1日を過ごせたw
今日の幸せな命に感謝(拝)
蝉の抜け殻があった ~儚い命でも~ [雑記]
大昔の話だが・・・
その頃住んで来た借家の近くに、庭がとっても広い邸宅があった。
まさに家の中に森がある。
そんな大きな大きな家だった。
今思えば・・・
他人の家の庭に、勝手に入ったら不法侵入でお縄につくところなのだが、まだ小学生低学年(1年生)だった私は、夏になるとその家の庭に入って、蝉をたくさん捕っては悦に入っていた。
そうこうして、成虫を網で捕るのにもだんだん飽きが来て、今度は夕方まで待って、木の根元の穴にいる蝉の幼虫を捕ることに夢中になっていった。
捕り方は・・・
まず蝉の幼虫が掘った穴に、小さな出来るだけ細い小枝を差し込む。
穴の中に幼虫がいれば、この小枝がモゾモゾと動くのだ。
居るとわかればその穴を、幼虫を傷つけないように、注意をしながら周囲へ広げながら掘り出すだけだ。
ある日そうして捕獲した、アブラゼミの幼虫を我家に持ち帰った。
そして父母に「これって蝉になるよね?」って聞いた。
そうしたら、父から諭すように叱られた。
「蝉はね、6年間も穴の中でずっと辛抱していて、やっと明るい外に出られたと思ったら、1週間で死んでしまうんだよ」
そう聞いて、私はいけないことをしてしまったんだと、子供心に反省をしたことを覚えている。
そして、どうしようかと考えたが、森に返してももう穴は私が壊してしまったし、すでに外は暗くなってしまっていたしで、結局父に相談して、この蝉の幼虫は我家で羽化してもらって、そして大空に返してあげようということになった。
私はカーテンに幼虫を止まらせて、30分置きくらいに見に行っては変化を確認した。
だいぶ時間も経った頃、いよいよ幼虫の背中が少しずつ割れてきた。
またしばらく待つと、蝉が殻から出て、白い綺麗な翅の蝉がカーテンに止まっていた。
アブラゼミは茶色い蝉なのに、翅が真っ白なのに驚いた。
透き通った綺麗な姿に感動したw
残念ながら、その後の色の変化は寝てしまって見られなかったが、我家で無事に羽化してくれたことは、たいへんに嬉しかった。
朝になった。
すぐに蝉の止まっていた、カーテンのところに行った。
でも・・・
そこには抜け殻だけがあって、羽化した蝉はもうどこかに飛んで行ってしまっていなかった。
少し寂しいような気もしたが、きっと大空に元気に羽ばたいて行ったのだと思うと、嬉しい気持ちになった。
そして自分がしてしまった過ちで、蝉の短い命を消してしまわなかったことに安堵した。
この出来事の前には、捕った蝉の翅を1/3程度千切って、グライダーだなんて残酷な遊びをしていた。
蝉の地上での命が短いことなど考えたことも無かった。
蝉ばかりではなく、他の生き物に対しても同じように、かなり多くの生き物を遊びで殺してしまっていた。
ザリガニ釣りなどは、その最たるものだったかも知れない。
釣ったザリガニの尾を千切って、殻を剥いて剥き身にする。
そしてそれを次の釣りの餌にするのだ。
蛙がいれば手で掴んでは、地面に叩きつけ、そして皮を剥ぐ。
その足に糸を結んでザリガニを釣ると、すぐにザリガニがかかるのだ。
誰に教わったのかも忘れたが、たぶん一緒に遊んでいた友達だったように思う。
魚を釣ればつみれだと言っては、石ですり潰したり。
海でフグが釣れれば怒らせてふくらませ、足でまるで風船を割るように爆ぜかしたり。
祭りで爆竹を手にすれば、捕まえた獲物にしかけて爆破したり。
残酷な遊びを、残酷だと認識していなかったのだ。
殺される者たちの痛みなど、これっぽっちも考えたことが無かったのだ。
もちろんだんだんと成長するにつけ、命の尊さを学んで、大人になってからは、害をなすもの以外は殺すことは一切しなくなった。
というか出来なくなったのだ。
最近ではゴキブリを見かけても、何もしないでほかっておくし、クワガタを見つけても取ることはしない。
毛虫が道をもそもそと移動していると、車に轢かれるんじゃないかと心配で、木に戻してやったりしている。
どんな生き物も、精一杯生きていると思えば、むやみにその命を奪うことは、いけないことなんだと思うようになったのだ。
今は亡き父は、どちらかというと寡黙な人で、あまり余計なことを言わない人だった。
私には怖い父だったが、一度も大声を上げて怒られたことは無い。
いつも私にわかるように諭すように叱ってくれたのだ。
子供の頃、こうして受けた親の教育は私の根幹となって、今も心の底にあり、私の判断基準となっている。
私も子供たちに命の尊さについては、事あるごとに話している。
「逆に立って考えてみなさい」と教えている。
幸い我子たちは優しい心を持って、成長してくれている。
金もない、社会的地位もない、何も誇れない自分が、子供たちに渡せるものといったら、こうした親から受け継いだ教えだけなのかもしれない。
もっともっと頑張って、子供たちに「何かを残して消えて逝きたい」という望みはまだ捨ててはいないが・・・
40にして惑わずのはずが、50にして未だ惑う自分に、寂しさを覚える吾身を嘆く現状ではいても・・・
さあ!
明日もがんばるさ~
今日の悩める命に感謝(拝)