生老病死の悩みはみな同様に [生老病死の苦しみ]
人として、いや生物としてこの世に生まれおちた以上、いずれは朽ち果ててそして消えてゆく。
これは敦盛(幸若舞)
の歌詞にもある通り・・・
「一度生を得て滅せぬ者のあるべきか」である
私も早40数年生き永らえてきた。
正に紆余曲折の人生だったと思う。
何度か生死の狭間を経験した。
ひとつ間違えば死をという場面に少なくとも三度や四度は遭遇している。
いやもっとか・・・?
しかし私は今まだ生きている。
なぜか先急いだ友人たちよりも長く生きている。
生かされている幸せを感じると同様に、長く生きてきた分多くの悩みや苦しみに遭遇してきた。
【生きる苦しみ】現場で大事故に遭い、障害を残し
仕事を失い
食うに困り
周囲のプレッシャーは甚大で・・・
当然経済的な余力は全く無く、ただ生きるために仕事と家との往復
金が無いから、出費のたびに夫婦間はギクシャクし
休みの日でも針の筵
いつか自分の好きな仕事をしたいと願うばかり・・・
【老いる苦しみ】
若いつもりでいても、体はやはり老いてくる。
髪には白髪が出始め、髭には更に顕著に現れ
体力は無くなり
そして若いころと比べ、持続力は低下し、覇気は無くなる
躓くことが多くなり、意識していないと物を落とす。
頭の回転は良い方だと自負していたが、今では思考がまとまらずパニックに陥ることが多くなった。
合わせて記憶力の低下は著しい
一番悲しいのは顔中皺だらけになってしまったことだ。
どこからどう見てもくたびれたおっさんになってしまった。
若いころは知らない人に「いい男だな~」って通りすがりに言われたものだが・・・
今ではちょっとすれ違った女性に何気ない視線をやると「何このおっさん!キモイ!」そんな声が聞こえてきそうな視線を返される(TT)
容姿だけで生きてきたつもりはないがこれは痛い!
おっさんというだけで敵視される。
「別にあんたらに興味あって見たわけじゃあないけど」
そう言ってやりたいが、実際スケベな視線になっちゃてるんだろうか?
隠すことも無い
女性が好きか嫌いかと聞かれれば、迷わず好きだと答える!
でもそれは自然なこと・・・
人類繁栄のために備わった自然な感情である。
男が女を好き
女が男を好き
何がいけない?
逆にそう問いたいわいw
異性を見てセクシャルな感情を持つことがそんなにいけないことかい?
だったらあんたらは生れてきてないんだよ・・・
そう言ってやりたい。
あららつい感情が入っちゃった><
老いるということは本当に辛いこと
だから人は昔から不老不死に憧れるんだろうなぁ
アンチエイジングという言葉がある
アンチ=抵抗する(反する)
エイジング=年を取る
である。
年を取らない努力・・・
これは裏を返せば老いる悩みを無くす努力
もしくは老いる悩みに遭遇することを少しでも遅くする努力
といったことだろう。
よくTVで美魔女なる女性が登場する。
彼女たちはこのアンチエイジングに成功していると言えようw
年は誰しも取る
しかし見た目はそれ相応とは限らない
若い人でも老けている人もいれば、年を重ねていてもいつまでも瑞々しい方もいる
これは老いる悩みに負けることなく、日々最大限の努力をしているからに違いない。
老いる苦しみというのは避ける術はない
誰しも同様なのだ・・・
次いで
すでに人生の半分以上は生きていると思うが、私はいくつかの病気に関する悩みがある。
【すでに露見している病気の悩み】
* 高血圧症
* 腎機能障害(クレアチニン濾過機能悪化)
* 肝機能障害
* むち打ち症
* 頸椎ヘルニア
* ぎっくり腰の慢性化
【いずれ襲い来るであろう病気の悩み】
* 頸椎ヘルニアの悪化による片麻痺
* 遺伝によるALS発症の心配
これらは避けたくとも避けられない私の病気の悩み
そして最後が・・・
【死の苦しみ】
これは書くまでも無い。
死は恐ろしいもので、それはいつやってくるとも知れない。
明日は生きていられるのかさえ誰もわからない。
私の周囲にも、夜寝床に入って、翌朝なかなか起きてこないんで起こしに行ったら亡くなっていたってケースがある。
朝「行ってきま~す」って元気に出かけたのに、事故に遭って亡くなっちゃった人も実際にいる。
明日はわからないのである
私は日々臨終の覚悟で生きている。
明日はわからないが、でも今は生きている!
これは紛れも無い事実だ
だから今日を大事に、そして感謝して生きている。
明日は訪れないと思えば、自ずと今日が貴重なことに気付く。
生きているのではなく、生かされているのだと感じる。
そう思うことで小さな善意、小さな感動に心から感謝することができ、それは即ち生きているってことはそれだけで幸せなことだと気付くことができる。
人間などどこまで行っても自然のただのパーツに過ぎない。
行き過ぎた考えは捨てて、自然の中で生かされていると気付かなくてはならない。
人間は決して神にはなれない。
人間は所詮人間である。
どれだけ金を持っても、社会で出世しても、いずれこの生老病死の悩みで行き詰るのだよ。
誰もこれを阻止することはできない。
だからこそ日々感謝し、奢ることなく、生かされていると自覚し、他の人の幸せを祈って生きていかなければならないのだ!
もう一度言う!
いずれ誰しも朽ち果てて消えてゆく。
だからこそ人生は尊い。
だからこそ人の幸せを祈っていかなければならない。
それは必ず何かの形となって自分にかえってくる。
弱音を吐くことなく、決して負けることなく、万人に平等に与えられた生老病死の苦しみと闘っていかなければならない!
強く強く生きていかなければならない!
人を尊重し、思いやり、慈悲の心を持って接することで、あなたの周りは明るくなる。
結果自分の心も明るくなる。
そしたら誰も喧嘩や訴訟をする必要が無くなる。
平和な温かな世界が広がる。
人は皆幸せになるために生れて来たんだ。
幸せになる権利が誰にだってあるんだ。
ただそれに気付くか気付かないか・・・
人同士争ったり、蹴落としあったり・・・
なんか意味があるのか?
幸せは個々の心の持ちようで決まる。
どうせ何十年の命でしかないんだから、仲良くニコニコやるのが良いんじゃないかい?
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