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会社都合退職を勝ち取った友人w [雇用保険]
の項で書いたが、友人から今日近況報告が入った。
どうやら期待通り、「会社都合での退職」となったそうだ。
そりゃ7年以上も勤めて、いきなり「障害あるから、あんたの行ける現場ないのよ」
だったら会社都合でしょ!
って思ってたから、まあ予想通りといえばそうなんだけど・・・
中にはブラック企業なんて言葉もあるくらい、労働者の権利を無視するばかりか、会社にとって都合のよい方向で、何事も無理強いする会社もあるんで、良かったねって電話をした。
まずは第一関門突破であるw
しかしこれで安心するのはまだ早い!
このあと会社から離職票の発行をしてもらい、それを持参の上職安に赴き、雇用保険受給者認定をしてもらわないとならない。
会社都合退職でも、7日間の待機期間は存在し、その後も申請をして、翌週の受給者説明会への参加も必須なので、結局10日からちょぼ2週間ほど、認定されるまでに期間を要する。
それが滞りなく済んだとしても、実際に保険金が口座に振り込まれるには、約1週間ほどかかるので、なんやかんやで3週間近くは支援は受けられないことになる。
他県ではまた違うのかもしれないが、私の住む愛知県ではこんな感じだった・・・
彼が会社と闘う必要がなくなっただけでも本当に良かったと思う。
生活の不安に、こんなものが重なったらとても辛いし、もしも会社側が認めない意向であれば(会社都合の退職を)彼には更に悩みが打ち寄せたであろう。
今回の件は、会社側からの提案ということになったそうだ。
次の赴任先を用意出来ない。
結果彼の仕事は失われるということに、同情を覚えたような、優しい対応をしてくらとのことだ。
良い会社じゃん!
真面目に頑張って勤めてきたから、ちゃんと考えてくれたんだねw
良かった!本当に良かった!
まだまだこれから、雇用保険関係の手続きや、各種申請など、まだまだやるべきことは多いが、出来ることならば早めに就職をして、「早期就職手当」の支給を受け、そして何より生活の糧を得られる状態に、一日でも早くしてくれたらいいなぁと思う。
人間は働いていないと、なぜだかだんだんと心が、生活が荒んで行くような気がする。
私の場合はそんな感じがした。
何もしないでいる1日も、必死で汗水たらして働いている1日も、同じ1日24時間である。
長い人生、たまには休んでもいいんじゃないか?
そんな風に最初は思っていたが、私はだんだんと何もしない1日が苦痛になってきた。
楽なんだけど苦痛なのである。
今は猛暑の中、毎日過酷な環境で仕事をしている。
朝は5時には家を出発し、戻れば19時を回る。
正直辛いことの方が多い。
熱中症になりかけもした(^^ゞ
でも・・・
生きている実感は、雇用保険の受給を受けていた時期よりも、今の方が何倍も、いや何十倍もある。
何より家族が安心する。
これが一番だ。
一家の長が仕事もしないでブラブラしている・・・
家族は先行き不安を覚えるのは必至だ。
今は家族皆ニコニコして、私もニコニコして、とっても明るい雰囲気になった。
私にとってはこれが責任で、そしてこれを保つことが最優先なのだ。
いつも言うことで恐縮だが・・・
人はいや生き物はいずれ滅す。
今苦しくとも辛くとも、でも何とか耐えられる、頑張れるのならば、今すべきことはこれなんだ!そう思うのだ。
死んでしまってからでは何も出来ない。
出来る今こそ、力を振り絞って頑張るべき時なんだと、自分を鼓舞している。
「耐えがたきを耐え、忍び難きを忍ぶ」それが忍耐である。
家族を背に負った以上、決して責任を放棄し、投げ出すことは出来ない。
皆の幸せな笑顔のためと思えば、出来ない忍耐はないのだ!
人間は自分のためにはなかなか頑張れない。
でも・・・
大切な人のためならば頑張れるんだ!
「俺は負けない!決して負けない!」
今回相談を受けた友人にも、そんな気概を持って、厳しい世ではあるが、どうか強く生き抜いて欲しいと願うばかりである。
あとは・・・
天に物申す。
彼は自身の障害を克服すべく日々頑張っているのみならず、病気の家族を養い、そしてすべての世話(介護)を荷っている。
彼を守護し、そして彼の前途を明るいものに!
そう願うものである。
生きるということは本当に難しい。
何故なら正解が無いからだ・・・
己の存在する理由、その意義は何か?
未だ答えを得ないままにここまで生きてきた。
ひとつだけわかったことは、自分の人生は自分の為だけにあらず。
自分を取り巻く人々の、幸せのために存在するのだと・・・
私の行動は即関わる人に影響する。
誤れば悲しみを生み、正しい道を歩めば、皆笑顔になれる。
家族のため、地域のため、社会のため、世界のため、我は小事に囚われず王道を行くのみ。
「無反無側王道正直」
これなり。
人生は自身が主役の一幕の劇なのだと私は思っている。
思惑次第で何様にも変化できる。
短い人生、ハッピーエンドで終われる劇を演じるも、悲しみの底に打ちひしがれる劇を演ずるも貴方(私)次第なんだ。
だったならハッピーエンドな一幕を演じたい!
私はそう思うのである。
今日の悩める命に感謝(拝)
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