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フォークリフト技能講習 修了! [雑記]

4日間のフォークリフト技能講習も最終日を迎え、16時50分まで実技練習。

3回くらい乗れたかな?

そして10分の休憩後、いよいよ本試験(実技)

乗車前点検から始まって、荷台から荷を取って(2段階)クランクを走行、そして奥の荷台に荷を下ろす(これも2段階)

まあこれだけの流れなのだが、その間に安全確認やら、荷台から荷の間隔や、高さなど細かな規定がある。

これを規定よりオーバーすればもちろん減点(TT)

クランク走行時などのラインオーバーは「脱輪」扱いなので、5点という大きな減点。

合格ラインは70/100点なので、大きなミスを連発しなければ、何とか合格することは出来る難易度である。

しか~し!

これに時間制限があって、規定時間は全工程終えて5分。

これ以内ならば時間による減点はないが、オーバーすれば30秒2点だったか?
これがどんどん減点されるのだ。


普段からフォークリフトに仕事で乗っている人は、難なく3分台をマークする。
しかし私のように初めて乗るような者には、この5分は結構ギリギリである。

少し慌てれば5分を切ることは出来るのだが、手順ミスの可能性は当然上がる。
実際に練習中にこれをやってみた。

昨日・・・
タイムは捨てて、正確な手順をと試みた際には、5分10秒でノーミスだった。

本日・・・
少し急いでみた。

タイムは4分30秒弱、しかし凡ミス4回(TT)


このことから、例えば30秒時間オーバー 2点減点。

時間減点なしだが、凡ミス2点or3点・・・
仮に2点だとしても計8点の減点。

おいおい急いだら損だわ。
ってことになるのだ。


これ実際にあったらしいんだが・・・

ある方が試験のタイムが10分かかったそうな・・・
しかしミス0だったらしい。

結局5分の時間オーバーだから、30秒2点として1分4点の減点。
5分オーバーだから、4×5=20点の減点。

でもミスが無いので獲得点数は80点。

合格ラインは70点なので、これでも受かっちゃうんだ(驚)


ということで・・・

私は時間に関しては無視する戦法を取った。

1分余計にかかっても、減点は4点。
ノーミスならば獲得点数は96点(優秀じゃん^^)


この4日間、少なくなった脳髄をフル回転させ、とにかく手順を完璧にするようにだけ心掛けた。


さて最終試験(実技)の結果は・・・?


自分の中では、手順のミスは0のはず・・・
時間は若干オーバーしたかな?
そんな印象で試験を終えた。


結果は問題なく合格を勝ち取れましたw


正直フォークリフトの技能講習は、覚えることがかなり多くあり、とても難しく思えたり、心配になったり・・・
いろんな感情が次々湧き起こって、常に不安な心持ちで、緊張度はかなり高かった。

でも無事合格出来て、振り返ってみたら、良い経験になったように思う。

50歳間近でも、ちゃんと学習し記憶し、そして試験に通ることができるんだ!
まだまだ出来そうな気がして、ちょっと嬉しくなったw

技能講習なんで、まあ受かるのが前提なんだけど、中には本番で失敗して落ちる人もいるらしい・・・
実費で補講を受けて、再試験もあるんだけど・・・
それでも落ちちゃう人もいるのかな?って思うほど細かな手順の指定がたくさんある。


上杉鷹山公の名言に

なせば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」 とあるが、成したくとも簡単に成せぬこともあると、今回のフォークリフト技能講習を受けて思った。

さすがに国が定める「制限業務」である。


すべては業務を安全に遂行するためにある決めごとなんだろうが、荷台から30cm以内とか、上げ高さは中心で15cm以内とか・・・

別にいいじゃん!
そんな細かいとこまで指定しなくたって・・・

15cmも20cmも安全上なにか変るのかい?

正直そう思うほど、細かいのである(^^ゞ


余談だが・・・
今日現場復帰し、早速8ttリフトで荷を動かした。

操作は技能講習で、4日間習っただけあって、何も問題なく行えた。
もちろん荷を落とすことも、事故を起こすこともなかったw

レバー操作などは何も変わらない、ただガタイが大きいだけだ^^

教習所で習ったことは、即現場で役に立つことがわかった。

基本を徹底的に(細かく)習ったことは、自信に繋がったと言えよう!

技能講習行って本当に良かったと、現場で実際に動かしてみて心から思えたw


資格は取っておくと後々きっと役に立つと思います。

若い方は特にですね。

仕事とかで役に立つことが、必ずしもあるわけではないのですが(選んだ職種によって)、でも自身の引き出しがひとつ増え、そして「こんなことだって出来ちゃうんだよ実は・・・」って

それが自信に繋がって行くんだと思います。


何よりそれが(資格が)なければ出来ないことが、公の場で出来るんですから、大きな価値を生みます。


今日はたいへんに暑い一日になりました。

現場で足は攣るは、今も少し同じ姿勢でいたら、両足の脛の辺が攣って痛いです。
軽度の熱中症の状態なのかもしれません。

塩飴舐めたし、水分は十分補給した(5ℓ飲みました)つもりですが、まだ不足していたんでしょうか・・・?

年々地球温暖化の影響で、気温はどんどん上がる傾向にあります。
水分&塩分(電解質)不足には十分注意をして、熱中症などで命を落とさぬよう、どうかご自愛ください。

今年も多くの方が熱中症で命を落とされているそうです(TT)


止むを得ぬ状況に追い込まれることもあるでしょうが、熱中症は自身で注意を払えば、回避出来ると思います。

涼しいとこにいるのに、汗が止めどもなく流れて止まらないとか、状況は変わらないのに、汗が急に止まってしまった。
頭が痛い、眩暈がする、意識が朦朧とする、気持ちが悪いなど・・・

そうと感じる状態になっらなら、無理を絶対にしないで、休息を取るか病院に連れて行ってもらうなど、的確な対処をしてください。

誰もあなたの命を守ってはくれません。
自分自身で守るしか無いのです!


今日は天気が崩れる前の暑い日になりました(最高気温37度だったそうです)
明日は天気が崩れて若干過ごしやすいのかもしれません(最高気温33度みたいです)

その後も今週の週間天気予報では、今日みたいに一気に気温が上がる日は無さそうで、少しは過ごしやすくなるような予報が出てはいます。

それでも注意を怠ることなく、健康で明るい日々を継続してくださいね。

私も明日は少し気温が下がると知り、心からほっとしています。
今日の暑さが続いたら、正直無事に帰れるのか心配でしたので・・・

命をかけて奉公しても何も変わらないし、逆に迷惑がられるだけです。
熱中症で死んだって、誰も褒めてもくれません。


心優しく、責任感強く、言い出せない人もおられるかもしれません。

でも、調子が悪いと自身で感じたら、何も遠慮する必要はありません!
絶対にそれを伝え、必ず自身を保護してください。

あなたの命はあなただけのものではありません。

少なくとも自分が望んだことで無いのならば、人の都合で死んでしまう愚行は避けてくださいね。

うだうだ言う奴がいたら、ぶん殴ってでも結構!
自分の身を守ってください。

人間死んでしまったら何も成せませんし、悲しむ人が一生その感情を抱えて生きなくてはなりません。
こんなに悲しいことはありません。

人はみな幸せになるために生まれてきて、そして幸せになる権利はみな平等のはずです。
一部の人間の都合で(仕事含め)それを失うことはあってはなりません。

最優先すべきは、仕事とか世間とか、責任とかなんかじゃなく、自分自身が幸せになることです。


ブラック企業などに就職しちゃって、苦しんでいる人もきっと多くおられるでしょう。

苦しいと思います。
悲しいと思います。

生きるために我慢を強いられていることと思います。


でも・・・

私は自身が消滅するくらいならば、すべてを失って、乞食だろうが、ごみ拾いだろうが、ホームレスになろうが、生きていられた方が良いと思っています。

路傍の小さな花を愛でて、綺麗だと思える心さえ失わなければ、そんな生き方もそれはそれで有りかと思うんです。


いっそ仙人にでもなれたらってちょいちょい思いますし・・・^^

「大局を見て小事に囚われず」

人の一生の中で最も大事なことは生きていることです。
命さえあればなんとか成って行くもんです。

大きな心で、まあ気楽に生きて行けば良いんじゃないかと私は思うんです。

所詮人間など、葉の上の露に等しい存在です。

時に柵から逃れて、思いっきり思い通りにあたけてみるもの一つの手です。


あなたの、そして私の行く道が成功だと信じ、行く道行きましょうよw
人生に正解など存在しないんですから・・・


思いっきりまた脱線しましたが、まあここはこんなとこだとご容赦ください。

思っていることをそのままただ書き連ねているだけですので。
何も考えていません。

思うことをただ書いているだけです・・・^^


今日も猛暑の中、きつい仕事に追われ、それでも命は続いていますw
まだ寿命があったかとまあ感謝しています。

明日は分からないが、今ある今日の命に感謝(拝)

 


何のために生きるのか? [雑記]

ここのところ土日も仕事、公休日は技能講習と、休みは無い状況だ(TT)

ほとんどが仕事の為の人生になっている。

それはそれで仕方がないのだが・・・
だって生きていかなくてはならないし、家族を養っていく責務があるから。

でもたまに思うことがある。

仕事仕事の人生もまあ有りかとは思う。
でも家族と過ごす時間は大幅に減少した。

もともと独りが好きなタチなので、家族と過ごすと言ってもそんなに多くの時間を共有するわけでもないのだが、休みが変わったおかげで、今までよりも更に一緒に過ごす機会が無くなってしまった(TT)

「亭主元気で留守が良い!」なんて聞いたことがあるが、マジでそんな感じになりつつある。


私の持論は、仕事というものはあくまで生きるための手段であり、それがすべての人生は本来では無いと思っている。

仕事中心で、家族を顧みない人たちの、家庭がうまくいかなくなった例は、嫌というほど見て来ている。

家族あっての自分で、それを保持するための仕事が、逆に家庭を崩壊させる一因になってしまうことを恐れている。


忙しく仕事をしていれば、金はもちろん多く入ってくる。
でも、私にはそれが何なの?
って思えてしまうのである。

時間を多く切り売りすれば、そりゃ対価も増えて当たり前。
でも人の一生の時間は有限で、そしていつ終焉を迎えるとも限らない。

そんなことを親しい友人に話すと

「仕事があるだけいいじゃん」と言う。

本当にそうなんだろうか・・・?


金がなければ生きられない。
金がなければ惨めな思いもする。

だけど、金があってもただ仕事のためにだけ飯を食い、寝る人生は正解なんだろうか?

無味無臭な人生は果たして正解なんだろうか?


壊れたら交換される歯車のような存在で、滅私奉公することが最善なんだろうか?


そんな思いに日々苛まれながら、それでも責務を全うするために、滅私する自分がいる。

もちろんこれを放棄はしないし、忍耐は必要と肝に命じて生きてはいる。


だけど・・・

これがずっと続く、そしてそのまま終わりを告げる人生なら、たぶんだけど私は今際の際に少し悲しむかもしれない。


私の夢は、というか人生の最終目標は、金と力を持って、周囲の人(困っている人)に支援し、幸せな生き方をしてもらいたいということだ。

いい年して頭おかしいと思われるだろうけど、真剣に「桃源郷」を造りたいと思っている。

みんなが憂いなく幸せに過ごせる世界を夢見ている。


今の日本は、いや世界は貧民は貧民のまま、中流と言われてはそれに満足し、実は一部の特権階級に搾取されていることにすら気付かない悲しい人たち。

気付いたとしても、どうすることも出来ない仕組み。


そんなものをすべて取り去って、本当に充実した、安らかな穏やかな心で、みなが満足のいく、本当に幸せと言える世界を造れないものかと、私は真剣に日々考えている。

壊れるまで働いて、僅かな金をもらって、自分の都合も、家族の都合も後回しにして、それでも壊れたら捨てられる・・・
歯車のような部品になるために生まれてきたのでは無いと、私は思うのだが・・・

いかがなものでしょうか?

「愚痴は言うまいこぼすまい」とは思ってはいるのだが、なんだか最近の自分の生きざまを思うにつけ、こんな愚痴をこぼしてしまう弱い自分がいる。


車中で聴く「抜刀隊」に勇気を貰い、そして叱咤され何とか持ちこたえている今の私である。

楽な楽しい人生を望んでいるのではない。

せめて・・・
自分が自信を持って、やりがいがあると言える仕事がしたいだけである。

企業の歯車にはなりたくないだけである。


生きるということは本当に難しく、そして悲しきことが多過ぎる。
それでも生き抜かなくてはならないのだ!

もうすぐ終戦記念日を迎える。

お国のために散っていった英霊の御霊に、巻き添えで亡くなった方々の御霊に、心から哀悼の念を捧げるとともに、守られたこの日本という国の中で、感謝し生きていかなければいけないのだと思いつつ、手を合わせる日々である。

ちょっと今日は沈んだ気持ちになってしまった(TT)

明日は技能講習最終日。

試験に絶対合格し、免状をいただかなくてはならない。
遅刻は即今日までの3日間を失うことになる。

遅めの夕食と、入浴を済ませ、明日に備えて寝ようかと思う。


こんな訳のわからないブログに、訪問して下さる方がおられるのも驚きだが、およそ85%の方が、ブックマークして再訪して下さっている。

なんと有難いことか・・・

私は動ける間はずっとこのブログは続けるつもりでいる。
死ぬ間際まで、指が動き目が見える間は・・・

自身の心の中味をぶつける内容でずっと書いていくつもりだ。

様々なブログやサイトを持ってはいるが、ここだけはそういう気持ちで、アクセスがどうこうとか余計なことは一切考えずに、ただこんな私の書いたものを読んでくださる人がいるんだという、喜びを感じながらやっていきたいと思っている。


ちょっと頭のおかしい私ですが、どうか少しでも興味を持っていただけたならたいへん嬉しく思います。

そして訪問して下さる方の、心の癒しなどに少しでもお役に立てたら・・・
少しでも勇気を持つきっかけになれば・・・
そして「こいつアホじゃない?」って笑っていただけたら幸いです。

本当にご訪問心から感謝致します。

これもご縁と、どうか末長くお付き合いのほどよろしくお願い申し上げますm(_ _)m


今日はネイティブな内容でホントすみません。


明日は今日より良い日で、元気な一日にしたいですw

暑い折熱中症にはどうかご注意くださいね~

悲しい心でも、生かされている・・・
今日の命に感謝(拝)


みんな我慢をしているんだから・・・あなたもしなきゃ! [雑記]

タイトルの「みんな我慢をしているんだから・・・」は私がよくかみさんから言われる言葉です。

世の中、自分の思い通りになるなんて、決して思ってません。
でも・・・

自分が納得のいかないことに遭遇したとき、私は間違いなく敵対心を現わします。

「納得がいかない」と言わずにはおられないのです。

そんなときは、ほとんど喧嘩腰です。
全く後先考えられない精神状態になります。


問題を起こした日は「我慢しなさい!」ってかみさんに怒られます
(TT)


だって・・・
怒れるんだもん><
そう言うと必ず「みんな我慢をしているんだから・・・」と説教をくらいます。

確かにいい年をして、感情的になったり、恫喝したりは問題だと反省します。
だけど、納得いかないことをそのままにして、我慢ばかりしてたら、自分が自分では無くなってしまうと思うのです。


「我慢ってどこまですればいいの?」って毎回思います。


例えば、会社で役のついた人が、仕事の遅い人を下に見て、皆の前で笑います。
私は「出来ない人の一生懸命を笑うな!」と怒りの感情が生まれます。

そして日に日にその感情は蓄積されていきます。

そして何でもない別のことで、笑った人につっかかってしまうのです。

その人は私には全然悪い人ではないんですけど・・・


私は一度頭に来たら、そのままその感情を消すことが出来ません
(TT)
どうやってもイライラが消せないのです。

なので必ずどこかで爆発します。


納得のいかないことを、我慢して生きているくらいならば、死んだ方がましだとも思います。


「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」

福澤諭吉先生の『学問のすゝめ』にはこう書かれている

なのに例えば会社という小さな世界の中で、人が人を蔑み笑う。
我慢すべきか?


自身に付いて言えば、私は日本男児である。
日本は侍の国である。
私の祖先は寺社奉行であったと伝え聞いている。


サムライの末裔である以上、プライドを傷つけられたら絶対に、相手が誰であろうと必ず闘う腹積もりはある。


理不尽な事に目を瞑って、頭を垂れることは絶対に出来ない!


金持ちが、社会的に地位の高い人間が、庶民を下に見る気持ちはまあ理解も出来る。
そこまでの道程は、確かに険しい道で、人の何倍も血の汗と、涙を流しながら努力を続けた結果だから。

でもね、やっぱり人が人を下に見た態度は、私は許せないんだよ。


実った稲穂は頭を垂れるべきと思うのだが・・・


残す人生、あといかほど残されているか、それは全くわかりはしないが、私はきっとこのまま生きていくと思う。

誰に遠慮もせず、自分のままに、気に入らないことは気に入らないと言う。

常識の範囲での我慢はするが、理不尽なことには絶対に頭を下げない。
子供のまま大人になった・・・
ならば子供のまま爺になるさw


人生は面白いんだけど、でも詰らなくもある。
世間の柵と己の理想の合間で、いかに折り合いを付けてゆくかが今後の私の課題なのかもしれない。


まあ生きるだけ生きたら死ぬだけさ^^
気楽に生きようw


人に迷惑をかけない範囲で、自由に生きられたらそれで良し!

俺は俺だ!


時間は長いけどキツク感じない なぜ? [雑記]

仕事の話になるが、昨日は16:45に終業。

今日は19:00に終業(残業ね^^)

普通で考えたら、同じような仕事をしているのだから、今日の方がキツく感じるはず。

なのに体感では、昨日がキツく、今日の方が元気だ!

何故に?

気持ちの違いだと思う。

昨日も今日も暑くて汗で全身ずぶ濡れ状態。

昨日は現場での据え付け工事。
今日は工場で造りもの。

物を造っているのは楽しく、時間もあまり気にならない。
そう!私は何かを造るのがとにかく好きなのだw

これは子供のころ、小学2年生のころ・・・

仏壇にあった、マッチ棒を何本か束ねたものを、セロハンテープでくるくると巻いて、一つのパーツにして、それを組み合わせてマッチ棒で船を作ったことがある。

大きなマッチ箱の中味全部を、セロハンテープでぐるぐる巻きにして、もはやマッチとしての役割は果たせない状態になっていた。

仮に使おうにも、ぐるぐる巻きのセロハンテープをひとつずつ剥がしていかないと使えない。

今思えば、本来ならば、マッチ棒とセロハンテープの、無駄遣いということになる。
子供のいたずらと捉え、小言を貰うところなのだが、家の親はそういったこと(工作とか)に非常に理解があったらしく、逆に「上手に出来たね~」って褒めてくれたのだ。

私は子供心に、すごく嬉しい気持ちになったことを覚えている。

そんなことから、私の工作好きは始まったと思う。


作ることだけではない、何でも気になったらバラしてみた。
もちろん組み立ては出来なかった(TT)

小遣いを貯めて、千円以上したプラモデル、確かポルシェの排気音が出るやつだった。
これもその頃作ってみた。
形はうまく作れたが、うまく排気音がどうしても出なかった記憶がある。

私がバラしてしまって、使えなくなった時計などずいぶんあったと思う。

でもこの件に関して、親から怒られたことはない。


きっとこの頃に叱られていたら、萎縮して(親は怖かった)チャレンジ精神は無いまま育ったと思う。


だけど一度も叱られないばかりか、逆に褒めてくれたから、今の好奇心旺盛のままの自分が存在する。


本当に伸び伸び育ててくれた、お父さんとお母さんには、心から感謝している。

親という字は、木の上に立って見ると書く。

正にその通りに、私を信頼し、思うままに何でもやらせてくれた。


私が悩んだり、行き詰ったときには、そっと助けの手を差し伸べてくれたし・・・
最高の両親である。
自慢の両親である。


話を戻そう。

体力的にキツくとも、時間が長かろうとも、好きなことを仕事として出来ることは、全然苦痛に感じないということだ。

前にも書いたが、やらされている仕事は詰らない。
自分で率先して取り組む仕事は楽しいのだ。

もちろんやりたい仕事、好きな仕事は少ないと思う。
でも例えば昨日、かなり重たいものを少し離れた場所まで運ぶ作業があった。
暑い中何度も何度も運ぶ作業は辛いものがあった。

体力・気力ともにだんだんと削がれてしまう。

しか~し!
ここで私はこう考えた。

正直キツいけど、でも金をもらって体を鍛えていると思えば、一石二鳥じゃんw
週に二回、軽く汗をかく運動を・・・

これも問題なくクリアしてるし。

日常運動はなかなか出来ないけど、仕事とあらばやるしかない!
しっかり汗かく運動出来てるし、しかも金まで付いてくる^^

そう考えたら運ぶ作業も、なかなかどうして捨てたもんじゃないなぁと。

要は考えようなのだ。


すべてをポジティブに考えられる人は、きっと精神面でのダメージは小さいはず。
何でも良い方に考えちゃうから、ストレスも自然と小さくなる。

ストレスが減れば、自ずと体調も良くなってくる。

「色心不二」という言葉で現わされるが、心と体は2つの別々のように見えて、実は2つではない。

心が痛めば体も痛む。
逆に体が痛めば心も痛む。

これは真理である。

だからポジティブに、心が健康ならば、自然に体も健康になるのだ。

もうひとつ・・・

私の好きな言葉に「精神は肉体を超越する」というものがあるが、心が折れなければ、体はちゃんと付いてきてくれるのだ。


心が弾んでいれば、キツい仕事だって楽しくこなせるw


人間は生きるために、おおよその人は働かなくてはならない。
食わないわけにはいかないから、最低でもその分は働く必要がある。

だったならば、せめて楽しく仕事ができるよう、心を鍛えて負けない自分になった方が、楽しいんじゃないかと、私は思うのである。


明日もかなり忙しくなりそうだ。

健康管理も仕事のうちだから、今日は少し早めに休もうかな・・・

良いこともある、悪いこともある。
それが人生というものならば、どんなときも心だけは明るく、そして強靭に、楽しむ人生を送りたいものである。


せっかく与えられた命を、暗く沈んだものにしては勿体ない、勿体ない^^


貯えをする重要性に今更気付く 愚かな・・・ [雑記]

この一週間、早朝から夜は20時くらいまで、仕事で出ていたため、帰宅してしばらくは動けない(TT)

とにかく風呂に入って、一日の汗と汚れを落とし、着替えて手を合わせ経を唱える。

ここまでが日課である。

そうして、少しリラックスした気分でPCに向かうものの、そのまま寝落ち。

少しして目が覚めて・・・

明日も早いので、寝ないとまずいと仕方なく就寝準備。

「明日こそは・・・」正に寒苦鳥である(TT)

仕事からの帰り道も同じことを考えながら戻ってくる。

 

仕事だけをやっていたら、死ぬまでこのままだ

仕事の他にもうひとつを作れば、それだけ楽になる。

それがわかっているから、どうしても諦めたくないのである。

 
休職期間中に考えたことがある。

 

なぜ一生懸命働いてきたにもかかわらず、今こうして生きるだけでいっぱいいっぱいなのかと?
なぜ俺はいつも金が無くて思い悩んでいるんだろうと?

少しビジネスでうまくいって、いくばくかの金を手にしたと思ったら、決まって何かで出費が必要になる。

また金が無くなる。

その繰り返しで今まで来た。

貧乏のスパイラルから抜けられないのである(TT)

なのでいろいろと勉強をして、リサーチをして、いくつかの収入の柱を持ちたいと足掻いてきた。





「金持ち父さん、貧乏父さん」
にもあるとおり、金を働かせるか、人を働かせるか、いずれかのレバレッジを持たないと、このスパイラルからの脱出(ラットレースからの脱出)は出来ないことはわかっている。

金を働かせようにも、金が無いのだからどうすることも出来ない現状は・・・

また人を雇おうにも、それに見合った量の仕事の確保が出来ない。

なのでひとりでコツコツやって行くしかない。

少し前に与沢翼氏が提唱していた、フリーエージェントだ。

 

昔から私は、例えば銀行とかに預けた場合の利子より、物価の上昇の方が早いので、貯金をすることは結局資金価値を目減りさせることと信じており、とにかく貯金というものをする習慣が全くない。

そして人間は明日が分からないのに、金を貯めてどうするの?

などとのたまっていた。

 

宵越しの金は持たない!

 

と言えば聞こえば良いが、要は無計画に入った金を遣い果たしてしまうのだから、金が手元に残ることはない。

今になってその愚かな考えを反省しているという情けなさ。

何かしたいときに金が無くて何も出来ない状況を、自ら作り上げてしまったわけだ(TT)

自分が死んだあと、家族がしばらくは困らないように、保険だけはいくつもかけてあるが、家族が生きてくのに必要な金は仕事で稼いで、そしてそれを遣い生きてくのだから、スパイラルからの脱出はやはり困難と思う。

 

独身のうちならば切り詰めて残すこともできよう。
しかし家族が増えればその分出費の機会は増えるのだから、なかなか残すことは難しい。

現在独身の方には、ピンと来ないと思うが、実際に家庭を持つとこのことが実感されると思う。

仕事で稼いだ金は、手の上を通ることもなく、一直線に家計に入り、そこから僅かな金をもらって生活するしかないのだから・・・

 

家計全体で言っても、遣う金以上に稼げば、何も問題はないのだが、もしくは稼ぐ金よりも少なく遣えば・・・
ところがちょうど無くなるのである^^うまいぐあいに。

 

税金は上がる一方であり、何かアクションを起こせば確実に徴収される。
見えない金が大きいのである。

そして気がつくと「どこでこんなに遣ったのかな?」となる^^

 

だからもしも縁あって、ここへ来て下さった若い独身の方に、貯金はしとくべきですよと伝えたいのである。

目減りしても良いじゃないか、先行って手元に金がないのは様々な弊害を生む。
心も荒み、本来幸せであるはずが、そうじゃあ無くなる。

幸せを幸せと感じられない心になるからだ・・・

不思議なもので、人間金に少しでもゆとりがあると、なぜか心も穏やかになる。
金持ち喧嘩せずの心境である。

 

何につけても生きていく上で、金という存在は必要不可欠である。

金がすべてとは決して思わないが、それでも金は必要である。

 

私は家計から金をもらう習慣がもうここ数年無いので、やはり自分個人のビジネスと仕事を両立させて、何とか自己資金を蓄えて行かなくてはならない。

疲れて寝てしまっている場合ではないのである。

 

正直慣れない仕事&現場での力仕事で、体は全身痛みに覆われている。
痛みのためゆっくりしか動けないので、自分で自分がイライラする。

まあこれも慣れるまでの辛抱と、心だけは逃げ腰にならないように、自身を鼓舞して頑張ってはいる。

 

苦しいがそれも生きている証拠!

 

十二年前に、寝たきりか、肩から下が麻痺する可能性のある事故に遭いながら、それでもこうして生かされ、動けるのだからこんな痛みや苦しみに負けてはいけないのである。

 

末期癌の友人はよくこう言う

 

「どこかに俺の働き口ないかな?死ぬ気で働くんだけど・・・」と

 

でも悲しいかな、それは体力の面で絶対に無理だと思う。
根治の可能性を追いながらであれば、治療を続けながら死ぬ気で当たれば何とかなるのかもしれない。

気力が切れないから・・・

でも根治は無理と宣告され、そしてあとどれだけ生きられるかと言われている彼には、仕事をするなどとてもではない。

それでも働きたいと彼は言う。

俺はまだ動ける、とりあえず使ってくれる会社もある。

ならば彼の分まで頑張らなくてはと思うのである。

 

漢ならば引いてはいけない場面がある。
決して負けてはいけない時がある。

 

あれこれ考えず、とにかく今目の前にあることから逃げ出さず、勝利していくことが、将来に向けた一番の一手だと思う。

 

逃げた先には、確実にそれ以上の困難が待つような気がしてならない。

 

死ぬまで漢でありたいなあ。



カムイ外伝に学ぶ 生の儚さ [雑記]

ここのところ何かと忙しい(TT)

というか忙しいふりをしている?
生きている以上、何事か成さねば為らぬのはわかってはいるが、いざその段になっていかに今までの自分が無力であったかを思い知る。

ネットビジネス???
さて思いついたのはいいが、何から始めるのか?
調べもした、考えもした、されど実際始めてみたら時間ばかりが過ぎ去っていく。

すでに齢50を目前に控えた自分なれば、思うように頭は回らず、手は動かず、ただ焦りと挫折感だけが蓄積していく。

しかし、ここで諦める訳にはいかない。
やると決めたからだ!

手が進まない理由は、何をすべきか理解できていないから・・・
そう考えここ数日とにかく知識を得ようと勉強をした。

読み、書き、聞き・・・
実際に手を動かしやってみた。

少し出来るようになった気がした。
しかし相変わらず思ったように進まない・・・

ちょっと休憩~
こればっかりだ><

ただぼーっとしているのも勿体ない気がして、以前買った「カムイ外伝」を読むことにした。




20巻あるものを3日で読み切ってしまった。
一気に読んでしまったので、続きが読めないのがとても悲しい。

第10巻174~187ページの坊さんとカムイの会話がいやに心に残った。
猫がネズミを捕ろうとし、ネズミは猫に襲いかかる・・・窮鼠猫を噛むの場面だ

坊さん、ネズミを追い詰めた猫の眼前に石を投げ込んで曰く

坊)

万に一つの機が・・・
一匹を救うかもしれぬ。
その機を求むるものは何か・・・

カムイ)

天命か・・・

坊)

無駄に等しい足掻き・・・
無駄とわかって・・・
その無駄を生きる万物・・・
その無駄こそが生なれば・・・
なんとこの世は無常なことよのう・・・


カムイ)

一つの夢の彼方に千、万の潰えた夢のあるを思えば・・・
万に一つの機を得るための無駄も試さぬ手はない・・・
しょせん無明の旅を旅する身なれば・・・

坊)

よきかな・・・

一つの夢の彼方に千、万の潰えた夢のあるを思えば・・・
万に一つの機を得るための無駄も試さぬ手はない・・・

この言葉が私の心に響いたのです。

そう万に一つのために、無駄だとしても試さない手はないのです。
諦めはすべてを無にします。
徒労に終わってもいいじゃないか・・・
やってダメならそれはそれでいたしかたない。

やらない後悔はしたくない!
そう思ったのです。

正に私の現在置かれた状況と被ったのです。


あと・・・
こんなセリフもありました。

冬来たりて春を待つ。
風に舞う雪を花に映すも人の心・・・

人間は心・・・
冬に舞う雪を花と見立てて想うのです。
心持ひとつでどんな状況下にあっても、人はそれを前向きに考え、そして未来を信じて進むことができるんです。
徒労に終わってもいい!
信じて進むことことこそが肝要なんです。

私は子供のころから漫画(今ではアニメですね)が大好きで、可能な限りいろいろな物語を読んで来ました。

漫画と侮るなかれ・・・
たくさんの学びを得ました。

このカムイ外伝もそのひとつになりました。

白土三平先生の作品です。

失われてしまった日本人の心を知るには是非読んでいただきたい作品です。

人は人として人と関わり、そして悲哀を知るからこそ人に優しく出来る。
抜け忍という過酷な生き方の中にある、カムイの優しさ、関わる人たちの優しさ、生きるということの厳しさ・・・

様々な面で考えさせられる作品です。

簡単に運気を上げるには? [雑記]

今日は何となく部屋の掃除を始めました。

少しだけ片付けるつもりが、気がついたらこんな時間になってました。(22:48)
しかもまだ終わってません(TT)

夕食もまだです。
とにかく少しのつもりがいつもこうなります。
整理整頓して、掃除機をかけて、濡れ雑巾を絞って部屋中拭き掃除をします。

途中疲れると煙草を吸いながら、好きな曲をBGMでかけて、また動き出します。

今日は自作PCの掃除もしましたので、いつもよりも時間がかかってます。
でもだんだんと綺麗になっていくととっても気持のよいものですw

掃除をして身の回りを綺麗にすることは、実は運気を上げるもっとも簡単で効果のあることらしいです?
どこかのTVで聞いてから、ちょくちょく掃除をするようになりました。

仕事の面から考えても、整理整頓されていれば、必要なものがすぐに見つかりますし、気分も良いので捗ります。

これは体験から言うのですが、不思議と掃除をして綺麗にした途端に、仕事が急に入ってくることがあったり、思いがけない貰いもいのをしたり・・・

あとこれはバイオリズムに関係するらしいんですが、良くゾロ目を目撃します。
何となく時計に目をやったら3:33とか・・・
それが心配になっちゃうくらい頻繁に起こります。

適当にサークルKで買物したら「はい、お会計777円になります」なんてことも・・・

バイオリズムが好調な時には、こうしたゾロ目現象が起きるらしいんで、まあ良いことなんだと思ってはいます。

あと神様は綺麗なところに現れるなんてことも聞いたことがありますんで、あながち迷信でも無いようです。

騙されたと思って、最近ついてないよな~って方は、思い切って身の回りとかトイレとか掃除してみてください。
ホントに騙されちゃったらごめんなさいm(_ _)m 何も起きないぜぃ(^^ゞ

でもおそらく効果てきめんのはずですw
私自身が常に体感してますんで。

今日掃除をしながら、また懐かしい曲を聴いていました。
たくさんあるんですがその中で今日はこの一曲を




甲斐バンドの「HERO(ヒーローになる時、それは今)です。
なぜか映像は高島彩さんなんですが、UPした方FANなのかな?

この曲を聴いたのは確か中学3年でした。
クラス対抗のサッカーの試合で、クラスの女子たちが大声でこの歌を歌って応援してくれたことをよく覚えています。
私は残念ながら試合では活躍できず、HIROにはなれませんでしたが・・・

でも青春時代の大切な思い出です。

音楽はいいですね~
一気にその頃まで心を持って行ってくれます。

ホントは掃除の合間にかなり曲を探してました。
掃除が終わらない原因実はこれなんですな(^^ゞ

いい曲いっぱい見つかりました。
また紹介したいなぁと思ってます。

さて、日が変わらないうちに静かに掃除掃除・・・

今日も幸せな1日でした。
命に感謝(拝)

雪山の寒苦鳥と私 [雑記]

雪山の寒苦鳥.jpg
【雪山の寒苦鳥】

昔子供のころ「雪山の寒苦鳥」という本を読んだ。

寒い冬山の夜、寒さに震えながらこう考えます。

「暖かくなったら巣を作ろう!」

しかし日が差して暖かくなると、巣を作るという決意はどこかへいってしまい、 陽気に浮かれて遊んでしまうのです。

そして、また寒い夜が来ると・・・

「明日こそ巣を作ろう!」

そう決めるのですが、また陽が差して暖かくなると遊んでしまう。

そうして最後には死んでいってしまう(TT)

というような内容だったと記憶しています。

よく私はこの雪山の寒苦鳥と自分を重ねます。

「明日の100より今日の50」と常に考えてはいるのですが、ついつい横道にそれ遊んでしまいます。
結果、予定していたことは先延ばしとなり、後悔ばかりが残るのです。

もうひとつ、ロシアの作家ツルゲーネフの著作に「ルージン」がありますが、この作品のルージンもまた私が自身と重ねる対称です。

ルージンは人より優れた能力を持ち、周囲に羨ましがられながらも、実は生涯何も成さずに寂しく死んでいってしまうのです。

私はこの作品を読んだとき、確か19歳でした。

そのときは施設にいて、自分の有り様を考え反省したり悲しみに沈んだりしていました。
そしてたまたま目にした「ルージン」を読んで、そのはかない人生に胸を打たれながら、同時に自身の将来を何となく予感したのです。

実は子供のころは何故か勉強は得意でした。
運動も大好きで、季節がら重なってしまう以外の部活動には全部入りました。

走るのが速かったせいもあって、運動会では毎年リレーの代表選手になり、子供心にそれはとてもうれしく誇らしいことでした。

勉強も運動もそこそこにできたので、天狗になっていたと思います。
何でも人より出来ると自分で思っていました。

ところが19歳でルージンを読んだころ・・・
施設で過ごす自分がいました。

社会からはみ出し、何も成せない自分がいました。

そしてそれは現在まで続いています。

自分の能力を過信し、努力することを忘れ、そして雪山の寒苦鳥のように、すべきことを先延ばしにする。
その繰り返しで現在までずっとただ生きてきました。

途中何度も反省し「これじゃあいけない!」そう自分を叱咤するものの、翌朝にはすっかり忘れ、また同じ日々を過ごす・・・

今思えば人生の貴重な時間を随分と無駄にしてきたと思います。

時間を遡ること、昔に戻ることは出来ません。

残す寿命がどれほどあるのかもわかりません。

ここに至って初めて気付いたのです。

時間は戻せないけど、もう一度挑戦することはできる!
七転び八起きだ!
最後に勝てば勝者だ!

そう強く心に刻み今は生きています。

今のままの自分で、昔に若いころに戻れたら・・・
よくそんなことを考えます。

時間は永遠だと思っていた青春時代。
残りは少なそうだなって思う現在。

同じ自分なのにずいぶんと変わりました。

若いころは「あ~あ暇だな~」それが口癖でした。
すべきことが見つからなかったんです。

逆にすべきことをある程度わかった今、今度は絶対的に自由に使える時間が少なくなりました。

もったいない生き方をしてきました。

人生は有限でそして与えられる時間の保証はまったくありません。
今生きている!
これだけが事実で明日は誰にもわかりません。

1年後に今と同じ後悔をしない生き方を

紙に書いて壁に貼ってあります。
同じ後悔をこれ以上重ねないためにです。

先行く中年ダメオヤジから若者へ

どうか限りある人生を無駄に、惰性で生きないで欲しいです。
日々目標を立て、それに迷わず邁進して欲しいです。
決めたことは必ずやり遂げる、強い意志を持って生きて欲しいです。

限りある人生を、どうか大事にどうか全力で生きてください。

自身の存在理由、存在価値をどうか見つけ出してください。

私も残る人生、悔いなく同じ過ちを犯さず、全力で生きてゆきます。

なんだか説教じみました。
お気に触ったらどうかお許しください。

ただ私は毎日こんなことを考えて、まだ諦めてなくって、まだまだ夢を追い続けているんだよってことを書きたくって。
ただ無性に書きたくなって。

ホントごめんなさいm(_ _)m
 


雨音は癒しの調べ [雑記]

もうだいぶ昔、いやかなり大昔の話である。

私はまだガラスの十代^^

そのころガゼボの「アイ・ライク・ショパン」 Gazebo I Like Chopin があちこちから聴こえてきてた。

切なく美しいメロディは、まだ感性の鋭かった?私の心を魅了した。


カバーで小林あさみさんが歌っていたVer「雨音はショパンの調べ」もまた違った良さがあった。

外に出られないから、雨は嫌いだ!
そんな人は多いと思う。

私もどっちかというと雨の日はちょっと憂鬱になることが多い。
首が痛むこともあって・・・

だが、そのころこんなことを聞いた。

雨の音には人間の心を癒す働きがあるんですよw
小川のせせらぎの音とか、波の打ち寄せる音なんかも同様です。


1/f揺らぎって言うんでしたっけ?
そんな風に記憶しています。

そんなことを思い起こしながら、じっと部屋の中で屋根に当たる雨音を聞いていると、なんだか心が落ち着く感じがします。
本当に癒されているのかもしれません。

そうそう、そのころの思い出にまつわる曲で、もう一曲忘れられない曲がありました。

山下 久美子さんの「雨の日は家にいて」です。

この曲も切ないです。
でもすごく心に染みました。

雨の日が嫌いじゃなくなりました。

今日は天気予報通り、夕方から雨が降りました。
私は部屋でコツコツとブログに記事を書いたり、思いついてはちょっと掃除をしたり・・・
時間がゆっくりゆっくり流れています。

何十年振りに思い出の曲を聴きました ♪
すごいですねw
you tube で探したらすぐに見つかります。

しとしとと降り続く雨音を聞きながら、少しセンチになってみました^^

心持ち次第で雨の音さえ心地よく聞こえるんですね。
いつまでも、年を重ねても、苦しい毎日でも、澄んだ心でいたいものです。

生きていたらこんな小さな幸せもありますってことでw

今日の命に感謝(拝)
 


キツイ仕事ほど報酬は安い? [雑記]

昔から3Kとか言うが、日本に限らず「キツイ仕事」ほど報酬は安いと思っている。

雇用形態には、正社員、嘱託社員、契約社員、パート社員、派遣社員などがあるが

どの雇用形態でも比較的キツイ仕事ほど報酬は安い。
これに当てはまらない業種もあるが、まあおおよそそれが実状であると私は感じている。

ホワイトカラー、ブルーカラー

頭で働くか、体で働くか・・・

体で働く中には技術を生かす方法もあるので、これはちょっとまた範疇に無いのかもしれない。

しかしホワイトカラー、ブルーカラーで比べると、大体の場合はホワイトカラーの方が報酬は多く、ブルーカラーの方が報酬は少ない傾向にある。

エジソンの名言10に中に

「首から下で稼げるのは1日数ドルだが、 首から上を働かせれば無限の富を生み出せる」

というものがあるように、体を使って稼ぐのには自ずと限界がある。

故に体を使って働く(首から下で稼ぐ)はキツイ割には報酬は限界があり、ほとんどの場合それは「首から上を働かせる者」の報酬には到底敵わない。

じゃあなぜ皆挙って「首から下を働かせる」のか?

子供のころからそれが正当だと教え込まれてきたからだ。

すべての国民が「 首から上を働かせる」ことを良しとし、「首から下で稼ぐ」ことを拒否したら国は成り立たず、資本者階級にとってはたいへんなことになるからだ。

日本の教育はお金の稼ぎ方を教えてはくれない。

頑張って勉強して、良い会社に入って、終身雇用で安泰に・・・
一億皆中流を・・・

そして頭を使って楽して稼ぐことは悪!
人は額に汗してその対価を得るのが正しい!

人の嫌がる仕事を率先してやることが美学

概要はこのようなことだ。

しかし実際はどうであろう?

企業に正社員として雇用され、終身雇用かと思った矢先に企業の業績が悪化
ある日肩をポンポンと叩かれ
「早期退職すれば退職金割増よ~」

正規雇用ならそれでもなんとかなる。

じゃあ昨今流行りの非正規雇用だったら?
企業の都合でポンポン、次の契約更新できないからごめんね~
で終わりである。

別のパターンとして

毎日残業、忙しくて休みももらえず・・・
体壊しちゃった(TT)

そうなんだ?
でも健康管理は自己責任だし、うちじゃあ悪いけど保障はできないね~
労災の認定だって過労死して、家族が訴えて、ようやく所轄が動く有様。
しかも全部が認定されるわけでもない。

おいおいである!

人は物と違うわい!!!!!!!!

使い捨て出来るわけなどないだろう!!!!!!!!!!!!!!!!!(激怒)


そう言う私もずっと頭から下を使って働いてきた。
たぶんこれからも生活のためにそうせざるを得ないと思う。

だって私には何もないからだ・・・

体を使って、額に汗して働くことが悪いと言っているのではない。
それ自体は尊いことだと思う。

問題はそうやって体を酷使して働く人たちが、満足に生活できない報酬しか得られないことだ。
いつ解雇されるかわからない雇用状況の中で、まるで歯車のように働かなくてはいけない現状だ。

キツイ仕事でも、その中に達成感や喜びがあるのなら何も問題ない。
そしてぎりぎりまで切り詰めなくても、普通に生活できる報酬が与えられるのなら・・・

資本社階級、そしてそれに付随する会社役員など

現場のえらさを知ろうともせず数字ばかりを追い求める中間管理職

もちろん役職ごとの苦労はあろう
それは十分理解できる。

しかしだからと言ってその下で働く者をモノ扱いする考えは到底許されない。

買いたい物も買えず、食べたい物も我慢して、ただただ滅私奉公。
体が痛めば自分持ち。

何かがおかしい・・・

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」

万民は皆平等のはずが、全然平等ではない。

金を持ったものが上で、金の無いものが下だ

金のためにプライドを捨て、金のために人を裏切り、金のために家族を売る、金のために体を売る

悲しくはないかい?

人が人としての尊厳を守って生きていける世の中を望む。

一部の人間がその他の人間を見下し、そして金を武器に蹂躙する。
またそれを承知で金を求める。

そのことに気付かないか、気付いていながら仕方ないと巻かれる人々。

人の一生は儚く短い

その大切な命をそんな風に使っていいのか?

人が人として当たり前に生きていける世の中はいつか来るのだろうか?

桃源郷

私の死ぬまでのテーマである。
何を持って桃源郷は実現できるのか?

どうしたら世の民すべてが、平等に不安なく、幸せに人生を全うできるのか?

私の寿命ある限り考え続けたいテーマである。

思いつきでただ書いているんで、ツッコミはご容赦をm(_ _)m

外の冷やかな空気に感化され、少し寂しくあれこれ考えただけ故。

ただただ世のすべての人に幸せになって欲しいと思う。



























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